2007/06/09

「減量」を哲学する - その先にきっと何かが!! -

 大層なタイトルを付けてしまったが、挑戦してみよう。オーバーな!?

 《ソッ、ソッ、ソクラテスか、プラトンか。ニー、ニー、ニーチェかサルトルか。みーんな悩んで大きくなった》

 作家の野坂昭如さんが軽快なステップを踏みながらウイスキーのCMに出ていた当時が懐かしいが、「哲学」と聞いただけで頭がこんがらがってくる。

 大学生になった当時、同じフランス語のクラスにSさんという〃留年生〃がいた。下宿が近くにあったので、有志で「出て来い」と呼びにいったら、「とにかく上がれ」と。

 中は何の変哲もない和室だった。同じ九州出身ということで、一人居残った拙者に対し、襖を背にそこに座れ、という。

 何やらゴソゴソしていると思っていたら、文机の中からナイフ数本を取り出した。それから一回、二回…と拙者の方向目がけて投じてきた。

 その時の心境は「殺される」という〃恐怖心〃より、「一体、何が始まるんだろう」との〃好奇心〃の方が勝っていた。

 幸い、ナイフは身体を掠めることもなく、その場は無事に収まったわけだが、この不可思議な出来事を境に、我々は急速に〃仲良し〃になった。

 Sさんは2歳年上。北九州の出身で、高校から鹿児島ラ・サールに進んだ。入学時の成績は2番、卒業時はビリだった、という。

 そのSさんが良く言っていた。「古代欧州では『哲学』が至高の学問だった。『法学』なんていうのは下衆のやることだ」と。

 田舎出の頭では何のことかサッパリ分からなかったが、ひとまずは「哲学」「哲学」とパチンコの景品はすべて河出書房の哲学本に換えた。

 「宗教哲学」(教養)では名物教授だった六三郎先生が「キリちゃんがねー」と切り出したら、最前列に座っていた女子学生が「あんまりだ」と言って、憤然と席を立って出て行った。恐らく熱心なクリスチャンだったのだろう。

 さて、本日のテーマである「減量」だが、これを「科学」することは簡単だ。カロリー計算をすれば済む話だ。

 ところが、「哲学」となると、一筋縄ではいかない。なぜ、食べたいのに、食べられないのか?高校に入ってレスリングを始めた次男坊のもがき苦しむ姿を見て拙者も考えた。

 普通に考えれば、理不尽でさえある。ところが本人はそれを望んで立ち向かっている。同じ仲間がいる。勝ち負け、強い弱いの問題ではない。

 恐らく、答えはすぐには見つからないだろう。ただ、耐えて、耐え忍ぶ。あるいは失敗する。その先にきっと何かがある!!ニワカ哲人はそう信じている。

 ところで、Sさんは今「Z会」にいると風の噂で聞いた。いまだに受験の世界から足を洗えないなんて、あなたの「哲学」もその程度だったのかい?