2007/06/01

情けないJALの凋落 - 禍福はあざなえる縄の如し -

 僧侶で芥川賞作家の玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)さんが以前、ある経済雑誌の中で面白い〃例え話〃を書いていた - 。

 ある男が道を歩いていて一万円札が落ちているのを見つけて拾う。この時点で、その人の人生はラッキーかも知れない。

 だが、次の瞬間、そのお金を拾おうとして、石ころに蹴躓いて大怪我をして、病院に運ばれる。今度はツイてない。

 しかし、入院先に目も眩むような美人の看護婦さんがいて、その人と恋に落ちて結婚できるようになる。再びラッキーだ。

 ところが、その美人の奥さんは家庭の中では、とてつもない悪妻で、結婚を後悔することに。これまた不幸である - と。

 玄侑さんは現在のストレス社会を、次に来るはずもない〃不幸の影〃に怯えているようなもの、と喝破している。

 同趣旨のことを、新約聖書では「明日のことまで思い悩むな。明日は明日で新しい悩みが発生するのだから」との表現で諭している。

 筆者は何も悟りきったわけでもなく、人一倍悩み深い性質の人間であるが、それ故に、これらの言葉の意図するところが良く分かるような気がする。

 政治家では、第二次世界大戦当時の英国首相チャーチルが「悲観主義者はすべてのチャンスの中に敢えて困難さを探し出し、楽観主義者はあらゆる困難の中から希望の光を見い出すものだ」と述べている。

 平たく言えば、「コップ半分の水」をどう捉えるか、の問題だ。チャーチルならずとも、物事は楽観的に考えないと、長生きできない。

 植木等にならって「そのうち何とかなるだろう!!」の精神が大事だ、と思う。もっとも、準備の段階では「悲観的」に備えておくことも大切だ、との指摘もある。

 日本航空(JAL)の関連会社の社員が、機内の忘れ物をくすねていた、とのニュースが報じられた。

 何とも情けない話だが、玄侑さんの例えに従うと、これらの悪事に加担した連中は、デジカメなどを手に入れた時点で「やった」「儲けた」などとヌカ喜びしたことだろう。

 ところが、世の中は「天網恢恢 - 」である。誰も見ていないようでも必ずバレる。これが「世の道理」だ。

自慢じゃないが、筆者は人後に落ちない「忘れ物名人」である。電車やスナック等に忘れた傘は数知れず。

旅行会社に勤務していたときは、千歳空港に客一人を置き去りにしたこともある。ヨーロッパ、アメリカツアーでは約二週間の間にカメラ3台を失った記録を持つ。

それにしても、ナショナルフラッグ「JAL」の衰退が嘆かわしい。ひょっとして、かつての栄光を〃忘れて〃しまったか。