上官殿、開けません!! - 自衛隊の皆さんに改めて感謝 -
講演のため島原入りすることになった江川紹子さんを出迎えるため3日朝、長崎空港の到着ロビーをうろついていたら、懐かしい顔とバッタリ出くわした。
災害当時、自衛隊広報班長をしていた飯田さんだ。よく見ると奥様連れ。一体、何の用事だろうと思っていたら-。
前の晩に島原で当時の山口連隊長(陸自第16連隊・雲仙のシュワルツコフ)や、鐘ヶ江元市長、吉岡市長らと〃戦友会〃を開いて、この日は東京に帰る山口さんを見送りに来たのだ、という。
なら、出発ロビーに居ても良さそうなものだが、よくよく聞いてみると、前夜から江川さんを探していたとのことで、「当日入りなら講演会の日程からして、この時間帯」とレーダーを張っているのだ、と。
江川さんを乗せたJAL便は定刻より10分遅れで到着。山口元連隊長や飯田さんらとの〃感激のご対面〃と相成った次第。
飯田さんには災害当時、大変にお世話になった。天草出身で、一時期は大村のCATV局にもいた。
江川さんを待つ間に飯田さんから、面白い話を聞いて爆笑した。「著作権」の問題はなさそうなので、ここに〃暴露〃する。
【その1】災害当時はまだ今ほどパソコンが普及しておらず、島原城内に居を構える災害派遣隊にも使い手は2、3人といった程度だった。
上官からの命令。「おい、パソコンを立ち上げろ」。使ったことがなく、どうしたら良いのか分からない隊員がとった行動は…。「ハイ!!」と二つ返事でパソコンを両手で抱えて立ち上がった、とか。
【その2】マウス編。マウスは鼠の形をした、キーボードを補佐するパソコンのパーツのことだが、指導に当たる上官からの命令は「もっとマウスを上げてみろ!!」。
すると、その世界に未知なる隊員の右手は、マウスを握ったまま〃宙〃に浮いた。まさか、鼠だから〃チュウ〃と洒落たつもりではなかっただろうが…。
【その3】拙者はこれが一番面白かった。「CDを開けろ!!」編だ。正確に表現すれば、「CDをパソコンにセットして、中身をモニター画面上で開きなさい」ということだったが…。
一枚のCDをタテ、ヨコ、ナナメから、穴があくほど見つめながら、さらには、張り合わせの部分にツメを立てて、「どこから開けたら良いものかさっぱり分かりません、上官殿!!」
いやはやご苦労様でした。こうやって島原が災害から立ち直れたのも、自衛隊員の皆様のお陰です。ありがとうございます。
【訂正】昨報の早大優勝は二年ぶりでなく「二季連続」、大町一郎左衛門さんに「副議長経験はなく」、ティファナは「サンディエゴ」、娘さんは「孫娘さん」の誤りでした。お詫びして訂正します。
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