2007/06/16

『悪名』先輩のいま - 何とゴルフ場の社長だと!! -

 恥ずかしながら、ゴルフ歴はもう30年近くになる。それなのに百を切ったことは一度もない。

 ベストスコアは先々月かに出した「101」。何の悪戯か優勝してしまったせいで、ハンディは36から30に減らされた。当分、優勝は望めそうもない。

 社会人1年生の時(徳島県)に「これからはゴルフくらい出来へんやったら営業は務まらんで」と、先輩社員M氏から無理矢理ゴルフショップに引っ張られて、ミズノのハーフセットを買わせられた。

 当時は消費税がなかったので、ちょうど3万円ポッキリだった。その足で、M氏の先輩に当たるスナックのママさんが「第百生命」の外交員をしているとのことで、生命保険にも強制加入させていただいた。

 「先輩、もうお金が続きません」と直訴すると、「おー、そうか」と言って、今度は取引先の信用金庫本店に連れて行かれ、「こいつに50万円ほど貸してやって下さい。ついでにVISAカードの申込も」-。

 事ほど左様に、拙者は従順な人間であった。ただし、そのお陰で随分と可愛がってもいただいた。昼飯、晩飯はもちろんのこと、当時まだ盛んであった高級クラブへの出入りも自由だった。

 M氏は薬品卸会社からの転職組で、社内的には少し浮いた存在であったが、仕事は抜群にできた。恐らく、海外団体旅行取扱高は〃日本一〃だった。

 「ワシのライバルは天王寺の誰々と、虎ノ門の誰々や。田舎に居るからいうて、都会の連中に負けたらあかん。これだけは〃アイツが一番〃と言われる何かを持っとけよ!!」。

 明け方3時、4時頃によく電話がかかって来た。「何しよるんな。早よ出てこんか」。内心「寝てるに決まっているやろーが。このドアホ」と思いながらも、渋々会社へ。

 当時はまだワープロがなく、和文タイプでガシャン、ガシャン…。「エアはなんぼで、ランドフィーは幾らや。為替レートからして、こんだけの儲けや。後は現地のオプショナル・ツアーで仕上げといこう」。

 2人して毎月のように添乗で海外に出かけた。大阪空港ばかりでなく、アラスカのトランジットスタッフともすっかり顔なじみになるくらいだった。

 彼の地を離れて20ウン年。思うに、あの頃の我々は旅行業界の映画『悪名』(原作・金東光)コンビだったかも知れない。もっとも田宮二郎と拙者とでは似ても似つかないが。

 八尾の朝吉親分ではない、そのM氏から先日、久しぶりに電話をもらった。「何しよんな。早よ出て来んか」。

 昔と全然、変わってないなと思いながら、「今、何をしてるんですか」と尋ねたら、「おーワシか。今は県と地元の地銀二行が出資している阿南市内のゴルフ場の社長や!!」。

 「早よ言うてや。すぐ行くわ!!」。