しかして博士の実像は!? - エクアドルに「野口英世通り」 -
アジアで初めてという「火山都市国際会議」(第5回)まであと5カ月を切った。関係者にとってはこれからが〃追い込み態勢〃といったところだろう。
ところで、吉岡市長をはじめ関係者が〃島原誘致〃を取り付けてきた前回開催地の南米エクアドルに、あの野口英世博士の〃足跡〃があることを、毎日新聞を読んで知った。
もう2カ月ほど前の土曜日版に掲載されていたものだが、いつか書こう、書こうと思ってはいたが、生来の〃怠け癖〃から、ついつい今日まで延び延びになってしまった。
記事は『あの人に会う』(日本近代史を訪ねて)というタイトルで、博士にゆかりの深い福島県会津若松市の喫茶店「会津一番館」と資料館「野口英世青春館」を紹介している。
それによると、元々その場所は博士が若い頃に医学修行をした「会陽病院」の跡地。東京生まれの照島敏明さんという人が20年近い歳月をかけて再生・整備を図った、としている。
近年は映画『遠き落日』(92年)などの影響もあって多くの観光客で溢れている、という。誠にもってめでたい話だが、拙者にとっては、博士そのものの〃破天荒〃な生き様の方がより面白い。
野口英世と言えば、一般的には、火傷で追った身体的ハンディキャップにもめげず、勉学に励み、貧困の極みから世界に雄飛した〃立志伝〃中の人物。確か、小学生の頃の授業でも、そう教わった。
だが、数年前に、星新一さんのエッセイ『人民は弱し官吏は強し』を読んでからは、そうした崇高なイメージは一変した。いま手元にその本がないので、曖昧な記憶に頼るしかないが、ドクターノグチはとんでもない〃自堕落〃な男だったのである。
長年の研究成果が認められ、いよいよ明日から「米国留学」という前の晩に、横浜の遊郭で遊びふけってしまい、関係各方面から頂戴した〃餞別〃を、船賃もろとも使い果たしてしまうのである。
この点は〃自堕落〃というより、むしろ〃豪放磊落〃と言った感じがする。しかしながら、そうした性格だったからこそ、後世に名を遺すような研究成果をあげられたのだろう。
エクアドルがどういった国か、首都のキトがどういった都市かまったく知りもしないが、会津若松と同様に、彼の地にも「ドクターノグチストリート」(野口博士通り)が2つもあると聞いて、改めてその〃偉大さ〃が分かる。
話は変わるが、参議院選の投票日が1週間延びた。その影響がどうなるのか分からないが、島田紳助から「エクアドルのバナナ売り」と揶揄されている丸山和也弁護士が自民党から出馬する、という。
調べてみたら、エクアドルはインド、ブラジル、中国に次ぐ世界第4位のバナナ生産国だった。勉強になった。
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