王子は〃救世主〃の総称 - 各々の時代にいた各界の王子 -
ハンカチやハニカミ、はてはハナカミ(?)など様々な「王子」が登場しているようだが、少し前、H氏賞詩人の荒川洋治さんが「王子」について、ラジオで面白い話をしていた。
荒川さんによれば、「王子」とはその業界に現れた「救世主」の総称のこと。例えば、我が国小説界で最初に登場した「王子」は坪内逍遥だという。
その代表的評論「小説真髄」は、小説の地位をそれまでの「戯作の世界」から「芸術の世界」まで一挙に引き上げたもの、と高く評価している。つまりは、鷗外や漱石も、逍遥という「小説界の王子」の後に生まれた天才だと。
次なる「王子」は三島由紀夫。10代で文壇デビューを果たした三島は次々と大作を発表。最期の自衛隊市ヶ谷駐屯地での割腹自殺はショッキングではあったが、その存在は「小説界の中興の祖」であった、と。
最近における「小説界の王子」は村上春樹。その本質は洗練され尽くした文脈にあるが、「ひょっとしたら自分にも小説が書けるかも知れない…」と一般読者に期待を抱かせた功績は大きい、とした。
続いて、詩・短歌の世界に移って、一番初めに名前が出てきた「王子」が石川啄木。「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」(一握の砂)。
次なる「中興の祖」となった「王子」は昭和30年代の寺山修司。「天上桟敷」という劇団を率いる一方で、「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」と詠んだ。
『サラダ記念日』の俵万智(昭和60年代)は「王子」ならぬ「王女」だが、一大ブームを巻き起こしたことは記憶に新しい。
荒川さんの説明そのものが面白かったので、車を運転しながらフムフムと聞いていたが、確かにいつの時代も「王子(女)」と言うか、停滞した局面を打ち破る「ヒーロー(ヒローイン)」を求めているものなのかも知れない。
そう言った意味ではホリエモンもある種「IT業界の王子」の役割を演じていたのかも知れないが、残念ながら彼の前には「北尾吉孝」という「ホワイトナイト」が現れるなどして、その野望は潰えた。
それにしても次々と「王子」「王女」が生まれ出てくるものだ。ひょっとしたら、その業界が〃市場活性化〃を目指して、意図的に送り出しているものなのかも知れない。
先日、ある映画番組供給会社の社員が営業にやって来た。「今なら男性では妻夫木聡、女性なら長澤昌美を当てれば、その興業は絶対に当たります!!」。
なるほど、芸能界とはそんなところか。では、政界はどうだろうか。「自民党をぶっ壊す」と登場した小泉首相は、確かに一時期は「ヒーロー」だった。
果たして今の内閣は?追及する側の野党は?いずれも〃悪役顔〃にしか見えないのは拙者の僻目だろうか?
0 Comments:
コメントを投稿
<< Home