2007/07/03

今日で丸1年です - 襟を正して「原点」に!! -

 本欄をスタートしたのが、昨年7月2日付けの紙面。したがって、今日で丸1年。ほぼ2日に1回のペースで書き続けてきた計算が成り立つ。

 印象を一言でいえば「汗顔の至り」である。浅学菲才の身をも顧みようともしない拙者の〃我儘〃を、じっと聞き入れてくれている社長に、まず深謝。

 同時に、時としてきついお叱りを頂く、心から地元紙〃のあり方を考えて下さっている多くの読者の方々に、改めて感謝の意を表する次第である。

 先日、ある本屋を覘いたら、長崎新聞『水や空』や、論説を書き続けている高橋信雄さんの本を見つけた。タイトルは『平和コラム・信の一筆』(長崎新聞社刊・1,470円)。

 さすがに本島等長崎市長襲撃事件のスクープ報道で、1990年度の新聞協会賞を受けた気鋭のジャーナリストだけに、文章に無駄がなく、格調高くまとまっている。

 その本を目の前に置くと(まだ全部読んでいない)、何となく気後れしてしまうが、「一寸の虫にも五分の魂」だ。今後も「鼓笛隊の笛」的視点で、駄文を書き続けて行こう、と思う。

 話は変わるが、岳父である当社の社長は不器用な人だが、時として心に染み入るような〃粋な振る舞い〃をしてくれる。その一つが居間のコタツの上にさりげなく置かれている本。

 それは発刊されたばかりの話題の新刊本だったり、自らの書庫から取り出したシミの付きの昔の単行本だったりする。

 毎晩のように飲み疲れて我が家に辿り着いた後、いわゆる〃酔眼朦朧〃の中で目にするわけだが、その時々の悩みの解決方法や、今後に取り組むべき指針をさりげなく示唆してくれているような気がする。

 このコラム欄を書き始めて間もない頃に配本されていたのは、扇谷正造・草柳大蔵の対談集『きょうの、この24時間 - 各駅停車的人生論 - 』(経済往来社・昭和58年刊)という色褪せた1冊だった。

 扇谷氏は朝日新聞(週刊朝日)、草柳氏はサンケイ新聞(→週刊新潮)と、出身は異なるが、両氏とも歴史に名を残す名文筆家として知られる人物だ。

 二人の話で面白いのは、編集する側から見た新聞記事の読み方。「ベタ一段の記事」との小見出しに続く部分を読むと、今でも何やら考えさせられることばかりだ。

 草柳氏が「ベタ一段の記事を8ページにした男」との社会心理学者による自身の紹介記事を率直に喜んでいるのに対し、扇谷氏はイギリスの古典的な事例を引きながら、現代ジャーナリズムの盲点を衝いて見せている。

 似たような話を『室内』編集長だった名コラムニストの山本夏彦さんが書いている。「明治時代の新聞はすべてベタ記事だった。見出しは甚だ勝手な新聞社の価値判断だ」と。

 1周年を機に、「原点」に還ろう。

きょうの、この24時間 - 各駅停車的人生論 (1983年)
扇谷 正造 草柳 大蔵
経済往来社 (1983/12)