ただいま〃二冠王〃 - 103、102、103まで来た!! -
6年間にわたる徳島県での勤務を終えて長崎県に帰ってきたのは昭和61年(1986年)のこと。
それまでは「旅」と言っても、他人様のお世話をするばかりの「仕事旅」だっただけに、誰にも気兼ねのいらない「一人旅」を企てた。
行き先はソビエト連邦。イルクーツク経由でシベリア鉄道に乗ってモスクワを目指す予定でいたが、チェルノブイリで原発事故が起きて断念した。
仕方がないのでしばらく友人宅に居候を決め込んでいたが、ちょうどその年の夏は「衆参ダブル選挙」が行われていた。
今となっては記憶も定かでないが、浅田五郎さん(自民党)が、マイクの音量をやけに張り上げて「朝だ、朝だーよ♪」と、県内を駆け巡っていたことだけは憶えている。
あれからもう21年か…。「竹脇無我」似と言われた美貌も今ではすっかり色あせ、腹回りには「これでもか!」と言わんくらいの贅肉がダブついている。
昨年あつらえた背広が窮屈になったので新調することにしたのだが…。テーラーのおじさんが一目見るなり、「まあ、仕方ないでしょう」と憐憫交じりの視線。
採寸後に書き込まれた〃データ〃を見ると、「胸囲103」「腹回り102」そして「尻回り103」と走り書きしてあった。
ちょっと待て!!と言うことは、いわゆるウエストのくびれは、僅かに「1センチ」しかないということではないか!?トホホ…典型的なドラム缶男か。
野球で三冠王と言えば「打率」「打点」「本塁打」の3部門でトップを占めた選手に贈られる、栄えある〃称号〃だが、拙者の場合は「チビ」「デブ」の二冠までは確実にモノにした。
残る1部門は「ハゲ」であるが、こちらは当面心配ない模様で、床屋に行くたびに「髪の毛が多いですね」と褒められる。
時に、拙者には頭髪部の「渦巻き」が3つある。1つは前方。後の2つは中央部。短髪にした時などは、生え際の部分が逆立ち状態となるので一目で分かる。
しかし、「遺伝」とはオソロシイもので、3人の息子それぞれが前方のほぼ同じ部位に「渦巻き」を有しているのである。
ガキの頃、「おっ、こいには『チョーマキ』(キョーマク?)の3つもあっぞ。こらオードカばい」などと珍しがられた揚句、頭をピシャピシャと叩かれていた。今でもその体験はトラウマとして、心の奥深く残っている。
昔は子どもの長髪のことを「ハイカラ」と呼んでいた。「オイもハイカラにすれば、チョーマキの隠るっとば…」と秘かに悩んでいたのだが、爺さんがどうしても許してくれなかった。
したがって、幼年時代の写真はすべて坊主頭。長髪にしたのは高校生になってから。初めて買った整髪料は資生堂の「MG5」だった。
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