人生変えた決勝の負け - やっぱチョーさんは面白か -
日経新聞最終面の連載読み物『私の履歴書』の今月号は、長嶋茂雄・読売巨人軍終身名誉監督を取り上げている。
余り熱心な読者ではないので、業界記事以外、大概は読み飛ばしているのだが、一時代を画した〃背番号3〃が、その人生をどのように総括しているのか、興味深い。
17日付の紙面では、後に奥様となる西村亜希子さんとの出逢いから婚約に漕ぎ着けるまでのくだりを、実にユーモラスな筆致で描いている。
「(初デート当日、朝四時に目覚めて)時間つぶしに、家の前のどぶ板を外して両側全部のどぶ掃除をした。それでも時間があまる。今度は、家から京王線の上北沢駅まで200メートルほどの道路をチリ一つないぐらいに掃いて回った」。
さて、「長嶋」(N)と言えば「王」(O)だが、小学校の図書室で初めて手にした読み物は『王貞治物語』だった。毎日のようにテレビで放映される、一本足打法。一挙に読み進んでいった。
お父さんが中国人で、お母さん(富山県生まれ)とともに、下町で小さな中華料理店を営みながら〃世界のホームラン王〃を育てた、という苦労話。
優秀だった兄は慶応卒の医者。現在は新宿区内で開業している。一年ほど前、どこかのテレビ局で取り上げていたが、顔の造作は王監督とウリ二つだ。
野球選手としての「王」を一躍有名ならしめたものは、早稲田実業時代の活躍だが、朝日新聞の販売店「ASA島原北部」が出している折込機関紙『北の風』(第61号)に面白い話が紹介されている。
見出しは〈新聞に載らない内緒話・「夏」の再会〉。明治大学校友会・埼玉県東支部報で紹介されていたもので、試合は昭和33年8月3日の東京都大会決勝。
舞台は神宮球場。すでに全国制覇の実績を持つ王投手を擁する早実は、延長12回表で明治高校を5対1とリード。誰もが勝利を確信、甲子園行きの切符と宿を手配した。
ところがその裏、明治の大逆襲が始まる。そして、最後は宮澤政信選手のサヨナラ打で大混戦に終止符が打たれる。同時に、早実の5連続甲子園出場は夢と消え、切符も宿舎もそのまま明治に譲られた。
王監督はその試合を振り返って、「いい試練だった。神様が『あまりのぼせてはいかん。ひとつ痛い目にあわせてやろう』と思ったんじゃないか…」などと述懐。
一方の宮澤氏(現在、会社社長)。「王さんはあの試合で投手断念の踏ん切りをつけた、という。あのまま甲子園に行っていれば、後の人生も大きく違っていたはず…」といった趣旨のコメントを残している。
夏の甲子園の予選が全国各地で行われているが、二人の再会の日も近い、という。どうだ〃良い話〃だろう、ハンカチ王子君。
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