2007/08/28

いよいよ創刊109年!! - 新たな決意でメディアの〃融合〃 -

 里帰りの妹たちが居なくなって数日。いつになくガラーンとした我が家。ことに、一人で賑わせてくれた年少の甥っ子「T」の姿が見えないのが寂しい。

 もとより9人の大家族だが、連中(長男含む)が帰ってくると、一挙に14人に膨らむ。そう言えば昔、『ただいま11人』という橋田寿賀子脚本の連続ドラマがあった。

 両親役が山村聰と荒木道子。それに息子2人と娘が7人。今ではすっかりお年を召された池内淳子や渡辺美佐子らの面々が〃娘役〃で出演していた。

 子どもは見ているだけで楽しい。安らぐ。「T」は今からちょうど2年ほど前に、島原で生まれた。

 その年の夏は出産ラッシュで、今でも親しくお付き合いいただいている宅島壽晴さん宅(松が丘団地)の孫2人に加えて、我が社の夫婦社員にも待望の第一子が誕生した。

 「T」が生まれたのは確か日曜日だった。お墓参りの後、深江・山の寺の「邑居」でソーメン流しを楽しんだ。そして、昼過ぎから急に産気づいた。

 幸いお産は軽く、比較的早い時刻に生まれた。分娩室からベッドに横たわったまま運び出されてきた妹は、疲れた表情も見せず、指で「Vサイン」を送ってきた。

 そう、あれからもう2年か…などと感慨に浸りつつ、先代社長の祥月命日(26日)を迎えた。墓碑を見ると、亡くなったのは昭和41年。奇しくも41年の歳月が流れたことになる。

 余談だが、本紙の創刊は明治32年8月25日であるから、紙齢はとうとう百九年目を数えた。

 発刊当初からの関係者の苦労もさることながら、すべては、この「地域紙の文化」を育んでいただいた島原半島の住民・出身者の皆様、そして温かい風土のお陰である。

 その証拠に、人口規模では遥かに上回る諫早や大村では「地域紙」が育たない。

 最近はインターネットの普及で、一部では「新聞はもはや時代遅れのメディア」とまで酷評されているようだが、一方で「情報源」としての新聞は益々重要視されている、という現実がある。

 欧米では歴史の古い大手紙が、新手の資本に次々と買収されているとも聞くが、何と言っても、新聞にとっての存在価値は、「情報源」としての役割だ。

 「地域紙」は「全国紙」とも、「ブロック紙」とも、また地方紙の代名詞である「県紙」とも違う。これまでも、これからも「独自の路線」を歩いて行かねばならない。

 率直に言って、改めなければならない側面は多々ある、と思う。しかし、その精神は、発刊当初から微動だにするものではない。

 新たな決意で「新聞」と「CATV」(インターネット&無線LAN)、そして「コミュニティFM」の融合に取り組むことを、ここに宣言する。