2007/08/08

諸富の歴史は2,200年!? - 街の各所に残る「徐福」伝説 -

 月曜日1日休んだだけなのに、体格の良い県のオジサンから「お前、さぼったろ…」と意味深な笑いを投げかけられた。

 図星と言えば図星のご指摘だが、別段さぼったわけではない。予想を超える不意の来客が相次いで、ついつい書きそびれてしまったのである。

 しかし、よくよく考えてみると、ちょっとした出来事がきっかけとなって「緊張の糸」はプツリと切れてしまうものだ。継続は力なり。心しなければ!!

 高総体の応援で4日間通いつめた佐賀県諸富町は、昨日も書いたが「徐福の里」として知られる。「徐福」とは一体何ぞや?

 もう20年近くも前に、島原市民文化講座か何かで、考古学で有名な森浩一同志社大学教授の講演を聴いたことがある。確か会場は森岳公民館だった。

 その時の話の内容は全くの門外漢だったので少しも覚えていないが、中国から九州に渡ってきた「徐福」という人物がいた、ということだけは記憶の片隅に残っていた。

 レスリング会場でいただいた資料によると、徐福は今から2200年前、秦の始皇帝の命を受け、「不老不死」の妙薬を求めて、この諸富の地に上陸した、と伝えられている。

 金銀珠玉で飾り立てた数十隻の船に、童男童女を中心に約3000人を引き連れて、有明海に面する筑後川河口に辿り着いた、という。

 真偽のほどは知る由もないが、古い絵図や「不老不死」が訛ったとされる「クロフキ」(植物)の存在、地名などに、今もその〃名残〃をとどめている。

 諸富にはもう一つ名物があった。国の重要文化財に指定されている「筑後川昇開橋」だ。こちらは近代の話で、今から70年近く前に造られている。

 そのフレコミは「現存する最古の昇開可動橋」(全長507メートル)。かつての国鉄・佐賀線(佐賀 - 瀬高間24.1キロ)を結んでいた。

 建設費は当時のお金で60数万円かかったということだが、今の貨幣価値に換算すると、どれくらいだろうか?

 現在は「遊歩道」(観光施設)として利用されており、年末年始を除いて、対岸の福岡県大川市と1日に7回往き来できるようになっている。

 そう言えば、街の通りには、何軒もの家具屋さんが店を構えていたが、大川との距離を考えれば至極当然のことである。

 残念ながら、今回は応援そのものが目的だったので、史跡めぐりはできなかった。次回は是非ともゆっくりと歩いてみたい、と考えている。

 それにしても「徐福」に「諸富」にと、何ともメデタイ地名ではないか。勝敗はともかくとして、全国から集った高校生諸君にとっては、終生忘れ得ぬ〃思い出の地〃となったことだろう。