仏の語源は「ほどける」 - 中陰の世界を歩むお二方へ -
先日行われた前島原市議、内田憲一郎さんの四十九日の法要で、護国寺住職、岩永泰賢さんの法話を聴いた。
いつもながら機知に飛んだ洒脱な説法にしばし聞き入ったわけだが、その中に「中陰」の話が出てきた。
辞書で引くと、「中陰」とは「中有」(ちゅうう)とも呼ばれる仏教用語で、「人が死んでから、次の生を受けるまでの間。死後の四十九日間とすることが多い」とある。
とすれば、内田さんの場合は、6月19日に亡くなったのでまだ「中陰」を彷徨っていることになるが、同住職は「彼のことだから、色々と理屈を付けては、関門を乗り越えていることだろう」と笑いを誘った。
「ただし!!」と断った上で力を込めたのは「閻魔大王」の存在。「この方だけは喚問の際に、生前の行状を鏡に映し出される、誤魔化しようがない」とも。
内田さんは、お母さんより先に逝った、いわゆる「逆縁」である。仏事の袋が御祝儀の場合と違って、上から被せた形であるのは何故か?
それには、「逆縁」などの「災禍」が流れ落ちるように、との願いが込められていることも、その法話によって知ることができた。水引を掛けるのは「封印」の意味だという。
さて、「中陰」で思い出すのは、玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)さんが第百二十五回の芥川賞を受賞した『中陰の花』(平成13年)という作品。
玄侑さん自身が福島県に住む、臨済宗妙心寺派の現役僧侶でもあることから、前々からその存在に興味を持っていた。昭和31年生まれ。慶応大学文学部中国文学科卒。
以前にも「石コロに躓いて怪我をしたことを、どう捉えるか(幸か不幸か?)」の例え話を本欄で取り上げたことがあるので、ご記憶の方も多いのではなかろうか。
そうしたこともあってか、何かしら心に引っ掛かっていたら、今度は島原市議会事務局長、倉重貴一さんのご長男が28歳の若さで他界された。
31日夜、島原会館で執り行われた通夜に列席後、一旦は自宅に帰ったが、どうしても『中陰の花』が読みたくなって、本屋に駆け付けた。
同書は文春文庫から出ており、一冊だけ残っていた。僅か百ページ余の短編に近い作品だったが、ストーリーとしても面白く、大変に読み応えがあった。
一節に、「仏」について語られたくだりがある。その語源は「ほどける」から来ており、「成仏」とは、恨みとか、悲しみとかが大空に溶け込んでいって、純化すること」だそうだ。
メデタキ事の例えとして「親死ね、子死ね、孫死ね」と逆説を唱えたのは一休さんだったか、良寛さんだったか忘れたが、内田さんも倉重君も、来世では決して「逆縁」を繰り返すことがないように。合掌。
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