2007/08/04

阿久さんの死と淡路島 - 今日も頑張れ!!島高レスリング -

 それは、それは、見事な〃逆転勝利〃だった。6年ぶりに全国高総体出場を果たした島原高校レスリング部のことだ。

 1回戦の相手は、宮城県代表の東北工業大学付属高校。軽量級で3立てを食らった後での4連勝!!

 昭和30年代の西鉄ライオンズや南海ホークスの全盛時代を髣髴とさせる、まさに〃カミワザ〃。応援の保護者らの興奮度も一挙に頂点を極めた。

 正直言って、まさか?と首を捻るような〃不運〃なジャッジが続いた軽量級の3試合だった。しかし〃不撓不屈〃の島高魂はその劣勢をはねのけた。

 個々の選手の勝敗よりも〃渾然一体〃となった不思議なチームワーク。ふだんは冷静沈着な喜多監督も「全国大会では、滅多にあるものではありません」といささか興奮気味。

 この勢いで2回戦!!と意気込んでいたら、台風5号接近のため、試合日程が翌日にずれ込んでしまった。したがって、本欄も2日続けての〃早朝執筆〃。これから6時半に学校に集結して、再びマイカー乗り合いで佐賀に向かう。

   ※    ※   

 作詞家の阿久悠さんが1日、亡くなった。70歳。すでに新聞、テレビ等で、その経歴や活躍ぶりについては紹介されているので〃重複〃は避けたいが、書かないわけにはいかない。

 都はるみ、沢田研二、ピンクレディー…。阿久さんが作詞を手がけた歌謡曲は何と5千曲。気の遠くなるような話だ。

 その時代、時代の世相を鋭敏に反映する〃社会風刺家〃としての眼は小説の世界へも向けられ、『瀬戸内少年野球団』(後に夏目雅子主演で映画化)は直木賞候補ともなった。

 日本テレビのタレント発掘番組「スター誕生」の審査員で見かける阿久さんの印象は、清潔感のない〃変なオジさん〃という感じだった。

 ところが、作品となると、まるで違った。言葉の魔法使い - 。憎らしいまでに洗練された表現で、昭和という時代の大衆の心をワシヅカミにした。

 兵庫県・淡路島の生まれだった。何度も書いているように、拙者自身が隣接する徳島県に勤務していたので、今でもその土地に〃親近感〃を抱いている。

 最近は鳴門大橋や明石大橋で結ばれ、阪神圏からもスムーズに行き来ができるようになったが、昭和50年代までは〃二つの海峡〃が横たわっていた。

 鳴門から阿那賀(淡路側)に渡るとすぐ、俳優・山口崇さんの生家(古い石垣塀で囲まれた庄屋屋敷)があった。

 それから車で国道を1時間程度走ると、功成り名を遂げた三洋電機のオーナー、井植一族の大邸宅が
構えられていた。

 名産はタマネギと、線香などの原料となる除虫菊、諭鶴羽山、五色浜…。阿久さんの死が忘れかけていた淡路の記憶を呼び起こしてくれる。合掌。