水撒きで哲学する!? - 水撒きで哲学する!?、ポーチュラカはネボスケだ -
どういうわけか、最近は早起きだ。目覚まし時計はかけていないが、大概5時前後には目が覚める。
一服してそのままテレビをダラダラと見続けるのも何だと思って、取りあえず会社へ向かう。市役所前の交差点付近にはウォーキング夫妻ら。ほぼ決まった顔ぶれだ。
朝一番の仕事は水撒き。50メートルホースを余さず引っ張り出して、鉢植えの日日草や地植えのポーチュラカにたっぷりと注ぐ。
ポーチュラカは〃ネボスケ〃だ。朝日を浴びる頃になってようやく居ずまいを正して花を開かせる。赤、白、黄色…。とっても綺麗だ。
雑草に混じって、昨年植えていたマツバボタンの〃末裔〃がしっかりと根付いている。その生命力にしばし感心する。
花壇回りが済むと、お次は玄関前と道路。ホースの先端ノズルを「ストレート」に合わせて、渇いた部分がないくらいまで丹念に吹き付ける。
時々〃ビル風〃が舞って水しぶきがかかることも。しかし、水撒きのおかげで風の力が思った以上に大きいことも知った。
どうすれば一番遠くまで飛ばせるか?ホースの角度をあれこれ変えてみるのも面白い。次々に現れては消える〃虹〃の存在も楽しい。
そうこうするうちに、お向かいの「こひつじ幼稚園」の園児たちが、母親の車に送られて、可愛らしい姿を見せ始める。おはよう!!心和む一時である。
それにしても、皆さん〃良い車〃に乗ってらっしゃる。クーラーの壊れた傷だらけのマイカーを遠目に見ては、ついついタメ息が漏れる。
水撒きに要する時間は日によって異なるが、だいたい30分から40分。個人的には、色んな事に思いを巡らす〃瞑想〃の時間でもある。
取っても、取ってもツゲの老木に〃巣〃を張るクモ。こんなに頻繁に〃蜘蛛の糸〃を退治していたら、あの世に行ってバチが当たらないだろうか…。
いやいや蜘蛛の巣は〃廃屋〃の象徴。大人の世界では、男性に見限られて〃孤閨〃を保つ女性を揶揄する際にも使われているではないか。
古くからの友人は、拙者が花好きになったことを「ジジイになった証拠」と嗤う。確かにそうかも知れない。
しかし、水撒きをしながらつくづく思うことも多い。ほんの100メートルも移動すれば、1日4万トンもの水が湧き出る白土湖。
そこを源流とした音無川。その沿道を、老若男女…様々な人々が行き交う。
「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず、淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし」(鴨長明・方丈記)
朝の水撒きは単なる作業ではない。〃哲学〃する時間なのだ。
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