永田力さんが講演会 - 10月6日有家コレジオホール -
画家の永田力さんと出会ったのは、もう20年も前のことだ。旧制島原中学の同級生の一人と拙宅を訪ねていただいたのだが、誰だったかは忘れた。
何かの本で名前は知ってはいたが、謦咳に接するのは初めてだったので幾分か緊張した。でも、すぐにホグれた。
想像以上に気さくな人柄だったからだ。力さん(以下、こう記す)は出前のチャンポンを美味そうに平らげ、島鉄の駅のことを「停車場」と呼んでいた。
その年の新年号で「特集記事」を書いた。口之津かどこかでの講演を取りまとめたものだが、1ページ全てを使い切り、「構成」に知恵をしぼった。
力さんは自身のシベリア抑留体験をもとに、「右脳と左脳の働き方の違い」「赤の意味するもの」などについて熱弁をふるった。
カラーセラピー等の考え方は、今でこそ当たり前のように語られているが、「人間の五感」を中心に据えた多方面からの分析は、斬新かつ論理的であった。
また、ある時は「松平黎明会」なるものを立ち上げ、慶應の三田校舎が島原藩の江戸屋敷だったことを伝え、「鎖国=悪」とする通説を、痛切に皮肉った。
今にして思うに、昨今の「江戸ブーム」のきっかけを作ったのは、力さん及びその周辺だったのかも知れない。「島原半島サトウキビ北限説」も面白かった。
一度だけ東京のご自宅を訪問したことがある。洋風の佇まいと、「漆喰の白壁」が絶妙になじんでいたのが印象的だった。
通された書斎は、さながら戦後文化史コーナー。多くの書物とともに本物の絵がゴロゴロしていた。中庭には、著名な女流作家(名前は失念…)から贈られたという桜の木が一本。
「漆喰壁がアレルギー系の病気を治す」 - 。そうした広告が全国紙に出始めたのは、それからしばらく経ってからだ。
これは余り知られていないことだと思うが、力さんの息子さんは「マガジンハウス」における伝説本「ブルータス」の初代編集長だった。
拙者がなぜ改まってこのような事を書くのか?近視眼的に見れば、来月6日(土)午後6時から、有家町のコレジオホールで「永田力講演会」(南島原市など後援、入場無料)が開かれるからだ。
だが、本音を言うと、それだけのためでない。これまで我が郷土は、幾度にもわたる力さんの「貴重な提言」を悉く無視してきた、ように思う。
その結果が、偽らざる現況だ。時代の動きを見抜く独特の感性。それは一朝一夕、或いは付け焼き刃的に培われたものでない。
島中時代に授業そっちのけで読み耽り、パリ滞在中(朝日特派員)も片時も離さなかったという岩波の美術本(新書)。
皆さん、本物の話をじっくり聴いて、「美しく強かな島原半島」を創っていきましょう。
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