2007/09/19

没後も衰えぬ〃人気〃 - 俳人でもあった夏目雅子 -

 「間断なく音なき空に星花火」 - 。女優、夏目雅子の遺作となった俳句だ。夏目は「海童」の俳号を持つ俳人でもあった。16日夜、TBSドラマ『ひまわり - 夏目雅子、27年の生涯と母の愛 - 』を観た。

 生誕50周年を記念しての特別企画だという。死去から20数年が過ぎた今でも衰えぬ人気と存在感。やっぱり夏目は稀代の〃大女優〃だった。

 夏目雅子(本名・西山雅子、旧姓・小達)は昭和32年、東京・六本木の輸入雑貨商の家に生まれる。その名を一躍有名ならしめたのは、カネボウのキャンペーンガールとして登場した衝撃的な「クッキーフェイス」。昭和52年のことだ。

 中学、高校、短大と東京・広尾にある「東京女学館」に学んでいる。とどのつまり、学生時代は我々恵比寿一族(下宿仲間)の〃すぐ間近〃まで通っていたわけだ。

 今でこそオシャレな街に変貌しているが、当時の恵比寿はサッポロビール工場の臭いが蔓延するなど、下町のような風情を漂わせていた。

 ただ、主要駅の渋谷や目黒から山手線で一駅。また六本木、広尾、白金台も徒歩圏内という〃交通至便〃の地にあり、発展の可能性は秘めていた。

 少し歩くと、麻布界隈には大使館が建ち並び、聖心、女学館というお嬢様学校のほか、慶應の幼稚舎(小学部)などもあった。

 早朝、広尾の小店(食料品)まで駆け下ると、軒先には必ず「パンの耳」が置いてあった。我々は交替で日参し、店主の「ご好意」に甘えていた。

 そうした〃耐乏〃生活の現場に差し込んでくる「クッキーフェイス」の輝きは余りにも眩し過ぎた。当時から「格差社会」は歴然と存在していたのだ。

 年譜を繰ってみると、夏目初出演の映画は『俺の空』(東宝)とあった。実は、この映画の主人公は一般公募で、我々はナケナシの資金をはたいて身長百八十四センチのドラ息子H(熊本出身)を送り込んだ。結果は、あえなく落選…。

 しかし、Hはその後、六本木のモデルクラブにスカウトされ、外車を乗り回すなど、羨むばかりのド派手な青春時代を謳歌。もう熊本に戻っているらしいが、音信不通のままだ。

 ドラマでは仲間由紀恵が夏目役を務めていたが、独特のカン高い声が鼻についたし、品格の面でも随分と見劣りを感じた。

 夏目が主演した映画はどれも大好きだ。中でも印象に残っているのは、作詞家、阿久悠原作の『瀬戸内少年野球団』。スクリーンから滲み出る妖気にも似た美しさが忘れられない。

 その阿久も今夏鬼籍に入った。生前、彼が美空ひばり用に作詞したのが『舟唄』だったことを知ったのはつい最近のことだ。

 「裕次郎、ひばり享年52歳。ご自愛専一に」。拙者52歳の誕生日の朝、親友から届いたメールに涙し、夏目が好きだった「一期一会」の言葉に想いを被せた。