『米百俵』の原点を!! - 史実に照らして分かれる対応 -
連載二百回目にちなんだわけではないが、今日3日は『米百俵』の地、新潟県長岡市に向かっている。今は移動の途中、全日空の機内だ。
狭苦しいエコノミー席ではあるが、こうしてパソコンを叩いていると何だか流行作家か、国際ビジネスマンになったような気がする(ないない!!)。
それにしても窮屈だ。隣の家族連れがやけにうるさい。また子供が叫んだ。今度はサンダル履きで蹴ってきやがった。一体、最近の若い親どもは何を教育しているんだ、まったく…。
ここはじっと我慢だ。そうだ、新聞でも読んで気分転換だ。「スポーツ紙ありますか?」と尋ねたら、「生憎これしか…」と言ってキャビン・アテンダントのお姉さんが持ってきたのは毎日新聞。
フムフム、そうか遠藤農相はとうとう辞任するか。まあ当然といえば、当然だろう。
でも、会見検査院から問題が指摘されたのは山形県米沢市だったよな。米沢と言えば、名君として名高い上杉鷹山公の元領地ではないか。
自ら率先して倹約のお手本を示すことによって、逼迫した藩財政を見事に立て直したその政治手腕は、多くのビジネス誌が取り上げるところとなり、テレビドラマともなった。
「為せば為る、為さねば為らぬ何事も、為さぬは人の為さぬなりけり」の格言は、「意志あるところに道あり」との英語の諺にも通じる名言だ。
ジョン・F・ケネディ米国第35代大統領は「来日の際、日本で一番尊敬する政治家は?」との記者の質問に迷わず、「上杉鷹山!!」と答えた、という。
遠藤大臣にとっては、そうした〃伝統〃は、もはや昔のこと。悪事でさえ「為せば為る」と思っていたのだろうか?
同日付毎日のコラム『余録』は、偶然にも長岡出身のカトリック吉祥寺教会の神父、後藤文雄さん(77)を取り上げている。
後藤さんは長岡の浄土真宗のお寺に生まれたが、東京・上野の地下道で戦災孤児と出会ったことから、神学校に進んだ。
そこに〃改宗〃とかの意識はなく、周囲からの質問に対しても「信者になる前の人間をつくる手伝いをしてきた」と、実に自然体だ。
その後藤さんは、多くのカンボジアからの難民を里親として受け入れる一方で、現地に学校をつくる運動を進めており、今年の第19回毎日国際交流賞を受けている。
そして来春には14校目の学校が誕生する、という。まさに『米百俵』の精神が国境を越えて花開いている、といった感じだ。
同日付の同じ面の記事を読みながら、鮮やかに対応の分かれる生き方を見た。長岡ではコミュニティFM放送の視察が主目的だが、『米百俵』の原点を確認してくるつもりだ。
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