『キャパ展』に感動!! - 恋人の名前は岡本太郎から -
県美術館で開催されていた『ロバート・キャパ展』の最終日(2日)に駆け込んだ。期間中3万人以上を集めた〃人気〃のほどを証明するように、この日も会場は人で溢れていた。
時間をかけて丹念に鑑賞した。「その生涯と作品」と副題がついた同企画は確かに見応えがあった。「崩れ落ちる兵士」という衝撃的な作品と、「ちょっとピンぼけ」の本のタイトルしか知らない己の不明を深く恥じた。
キャパは一九一三年、ハンガリーの首都ブダペストに生まれた。本名はエンドレ・フリードマン。両親は洋裁店を営んでいた。
思い入れの深さも手伝ってか、いささかオーバーに反応しすぎたのかも知れないが、これまで観たどの写真展よりも〃感動〃を覚えたのは事実だ。
もし、西川清人さんが生きていれば、間違いなく一緒に初日に駆けつけ、「あーでもない、こうでもない…」と熱い議論を交わしたことだろう。
キャパと西川さんを比べること自体が無意味なことは重々分かっている。誤解を恐れず端的に言えば、それは「報道」と「芸術」の違いである。
キャパが活躍した世界は主に「戦場」であり、一方で西川さんの舞台は古里の「大自然」であった。
作風で言うと、キャパのレンズが常に「人間」そのものに向けられていたのに対し、西川さんは敢えて噴火災害下の被災者の姿を追わなかった。
今回の作品展で特に印象に残ったのは、デビュー作となった「演説するレオン・トロッキー」や「Dディー・ノルマンディー上陸作戦」など。
エピソードとしては〃報道写真家〃としてのキャパを世に送り出す役目を果たしたパリ時代の恋人、ゲルダ・ポホリデスが岡本太郎(画家)との交遊から「ゲルダ・タロー」と名前を改めていたこと。
戦前の中国を舞台に撮った「四億の民」も素晴らしかった。中でも「国民党政府軍の女性訓練兵」という作品の構図がユーモラスで面白かった。
キャパに〃来日経験〃があることも、今回初めて知った。拙者が生まれる1年半前の昭和29年春のことだ。
日本には3週間ほど滞在し、東京や京都、奈良などの古都に加えて、ビキニ環礁で被爆した「第五福竜丸」の母港である静岡県焼津市も訪れている。
百万言の解説(文)より、一枚の写真がより正確に物語るその時々の世相や人々の息遣い…。
昨今は、素人でも手軽に使えるデジタル一眼レフカメラの全盛時代だが、キャパの作品と出合ってからは、何だか無性にフィルムカメラをいじりたくなってきた。
キャパ愛用のカメラは「ライカ」だった。製造元の「ライツ社」(独)も数年前からとうとうデジタル路線。これも抗えない時代の流れだろうか…。
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