2007/09/28

十八銀行湊支店の名物 - 地元の熱意で「時計」が残った -

 十八銀行湊支店(柴田郁夫支店長)には昔から地域の人々に時刻を知らせる「屋外壁時計」がある。同支店長によると、こうした「サービス」をしているのは、本店と同支店だけだという。

 同行はことし創業百三十周年だが、八十五周年の記念誌によれば、昭和30年代当時にはすでに「時計」は存在していた。その証拠となる「写真」(昭和37年撮影)が今も大切に保管されている。

 当時、同支店で働いていた14人のスタッフの記念写真とともに掲載されているのは、湊支店にまつわる「三つの特色」。そのまま列挙する - 。

 1.場所が良い=「別府…阿蘇…雲仙」観光ルート島原のロータリーに「デン」と店舗を構えている。

 2.二刀流である=観光客の金をすくいあげるのを一刀であとの一刀では農家の葉煙草代金を。

 3.正確な時計=一秒の誤差もなく電光時計は街を行く人に「時」を知らせている…あたかも銀行は大事な金を一銭の間違もなく保管している如く…。

 行内向けの編集なのかも知れないが、「本音」の部分が見え隠れして、大変に面白い。

 実は、今回の「機器入れ替え」に関しては、ちょっとしたエピソードがあった、という。同支店長に話を聞いた。

 「本音を言いますと、時々狂ったりして、苦情を頂戴したりなんかしていたので、この機会に取り外そうかなぁーなんて思っていたんです」…。

 「ところが、昔から湊広馬場で育ったという江島栄太郎さん(古川商店社長)をはじめ何人もの方に『どうしても残してほしい!!』と言われたので方針を改めました」…。

 「やっぱり地元の皆さんにとっては、当支店の時計は『ランドマーク』的な存在だったのですね。今にして思うと、取り外さなくて正解でした」。

 設置の作業は、古くから取引のある電工社(原フミ子社長)が受け持った。もちろん原社長自身が「存続運動」に加担した一人だ。

 IT全盛のこの時代なので、当然「電波時計」と思っていたら、シチズン社製の普通のクォーク時計だった。その理由について同支店長は - 。

 「地域の皆様に愛されて50有余年。ときどき我々が手を加えることで、随時対応してゆきたい、と考えています。デジタルも結構ですが、やはり地域とのつながりはアナログ方式でなくては!!」。

 「ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ/われらの恋が流れる/わたしは思い出す/悩みのあとには楽しみがくると/日も暮れよ/鐘も鳴れ/月日は流れ/わたしは残る」(ギョーム・アポリネール)

 同支店脇を少し進むと、かの山頭火も渡ったという「新地橋」。白水川の流れとともに、また新たな時が刻まれる。