「背水の陣」を今こそ!! - 読み違いをしっかり反省して -
小泉さんは「自民党をぶっ壊す!!」と気勢を挙げて登場。続く安倍さんは「戦後レジームからの脱却」を唱え、「美しい国ニッポン」を標榜したが、途中で挫折。
そして、急きょリリーフに立った福田康夫第91代総理が目指すのは「信の国」。キャッチフレーズは「背水の陣内閣」だという。
「背水の陣」とは、「もう後がないので必死の覚悟で事に当たる」ということ。もともとは中国・前漢時代の故事にちなむ言葉だ、という。
国家(自民党?)そのものが「背水の陣」をしく危機的状況であるのに、地方が安穏としている場合ではない。そう「とっても大変な事態」なのだ!!
とは言っても、なかなか住民一人ひとりにまでは、その思いが伝わらないのが現実である。しかし、「地域崩壊の波」は確実に押し寄せて来ている。
前置きが長くなってしまったが、先週末、商工会議所3階大ホールで開かれた「中心市街地活性化」をテーマとした意見交換会(勉強会)に参加した。
主催した会議所や市商観課の呼び掛けが実を結んだ形で、会場はほぼ満杯の出席者で埋まった。
故・高橋三徳さんや森本元成さんらの主導のもと、直接被災者の皆さんと共に噴火災害からの復旧・復興を目指して激論を交わした同ホール。「思い出の地」でもある。
「島原生き残りの会」→「島原生き残りと復興対策協議会」は決して誇張ではなく、文字通り「背水の陣」をしいていた。
連日のように続く「火砕流」「土石流」の波状攻撃に、誰しもが「明日をも知れぬ不安」を如実に感じていたからだ。
人的にも、物的にも多くの被害を受けたものの、噴火活動そのものは丸5年で終息。その後の復旧・復興へ向けて牽引力を発揮したのは、官民一体となって練り上げた一千億円の「災害対策基金」だった。
翻って、現在。商店街は大型店の進出こそ阻んだものの、その後の動きはいたって「緩慢」なような気がする。
「専門家」と称する人々の分析(診断・助言)で「病巣」の存在を嗅ぎ取ったとしても、具体的な行動が伴わなければ「症状」は進むばかりだ。
司会者から感想を問われて、「もう20年以上も前から、同じような試みが続いているような気がします…」と、思わず答えてしまった。
以前、商店街からの市に対する陳情は「何はともあれ駐車場を!!」といったものが主だった。ところが、今回の調査で判明したのは「徒歩で通って来る老人リピーターの多さ」だった。
端的に言って「時流の読み違い」である。「コンパクトシティ」の心地よい響きに惑わされず、なりふり構わぬ「背水の陣」を今こそしくべきであろう。
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