「落差」が発する面白み - 恵まれた自然環境を活かせ!! -
「このセザンヌの絵のタイトルは何と申しますの?右隣のモネの作品も素晴らしいけど、アタクシ題名を忘れてしまいましたわ。オホホ…」。
芸術の秋。派手な衣装をまとった〃貴婦人〃と称する女性が、とある美術館を訪れ、ひとしきり絵の鑑賞に耽っていた。
「これってピカソよね。でも、なぜ動くの?」。鼻をつく香水の臭いに業を煮やした係員が「奥様、それはご自身が写られている鏡でございます」 - 。
先般、ありえコレジヨホールで開かれた「永田力講演会」で〃笑い〃を誘った会場からの小話だ。質問者はこれを枕に「ピカソの作品(キュビスム)をどう思うか?」と畳みかけた。
対する講師の答えは明々白々。「絵の評価は百人百様。その人、その人が、感じるままで良い。それがいかなる巨匠の作品であろうとも」 - 。
永田力さんとは、ほぼ2年ぶりに会った。黒を基調にした相変わらずのダンディぶりで、眼鏡の奥の大きな瞳は、年齢を感じさせない〃少年の輝き〃を放っていた。
講演時間は2時間強。話は多岐にわたり、とても本欄でまとめることは不可能なので、印象に残った点を幾つか - 。
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「絵に点数を付けること自体ナンセンス。そんなことを続けているから、日本の美術教育は発展しない。私はリセ・フランコ・ジャポネ時代、自由奔放に描かせることによって『絵の楽しさ』を教えてきた」。
「『形象』はダメ。『形質』でなくては。セザンヌに限らず印象派の作品の多くは、日本の浮世絵の影響を受けている。また、日本画においては『遠近法』の手法は成り立たない。ヨーロッパと日本とでは土台『湿度』が違うのだから」。
「『洋画家』という表現は間違い。それは、西洋の真似をしている画家という意味だ。日本人はえてして西洋に弱い。横文字のサインなど愚の骨頂だ。むしろ屏風絵に描かれている春夏秋冬の世界に、欧州人は憧れを抱いている」。
「海、山、温泉、湧水…。こんなに自然環境に恵まれているのに、島原半島の人々はその『価値』にいまだに気付いていない。知り合いの旅行作家が晩年は15家族くらいで移住しようと考えていたが、海にゴミを投げ捨てる地元の主婦の姿を見て、同時にその考えを捨てた」。
「これからは『心』(文化)と、『物』(経済)の『両輪』が常に一緒になって回転していかないと、発展は覚束ない。日本人であることを、もっと誇りに思って」。
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個人的な感想だが、永田さんの面白さは「落差」から来る。都会に住みながら田舎のことを想い、芸術家でありながら市井への感情を漏らす。以前から唱えている早崎海峡の潮流発電構想も干満の「落差」を利用したものだ。
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