身捨つるほどの故郷!? - 言葉は時に〃凶器〃ともなる -
10月17日。曇天の前日とは打って変わって抜けるような秋の青空が広がっている。朝日を浴びた眉山を見ると、所々だが紅葉の存在が確認できる。恐らくハゼの木だろう。
一度本欄でも紹介したことがあるが、前島原郵便局長の小谷学さんの提案にこういうのがあった - 「眉山にハゼを植林して『絵文字』のように浮かび上がらせてはどうか。海上や市街地からの眺めは素晴らしいと想うよ」。
小谷さんはこの夏、転勤で佐賀県の武雄市に移っていった。治山事業を統括している林野庁や県、市などとも協議を進めていきたい、と考えていた矢先だっただけに残念だ。
恐らく、官公庁の既成概念が阻んで、その「ハードル」は想像以上に高いことだろう。が、諦めているわけではない。今では「点」にしか見えないその「赤」が、「種火」のようにも感じられるからだ。小谷さん、貴重な「遺言」(!?)を有難う。
と、そんなことを考えながら同日付の『天声人語』を読んでいたら、寺山修司さんのかの有名な言葉が引いてあった - 「マッチ擦るつかのま/海に霧ふかし/身捨つるほどの祖国はありや」。
拙者は詩人でも文学者でもないから、作品の評価は分からない。ただ、視覚的なイメージが浪漫のベールに包まれて、具体的に浮かんでくるところが凄い、と単純に思う。
ところで「マッチ」と言えば、宮崎康平さんは大の愛煙家であったが、ライターで火を点けてもらうことを極端に嫌った。
銘柄はいつも両切りの「缶入りピース」と決まっていた。元島原市企画課長の副島義一さんなんかは心得たもので、何か相談事がある度に、必ずそれを持参していた、という。
いささか脱線するが、先日、鬼木和夫・親和銀行新頭取の就任披露パーティが諫早市のグランドパレスで開かれたが、時間待ちのあいだ「タバコ初体験」の話になった。
同席していたのは山本蔦五郎(山本屋)、萩原昭夫(萩原ミート)、大場茂生(九十九ホテル)の四氏。萩原、大場の両氏は生来のノンスモーカーだったが、山本さんの初体験はナント小学時代。
先輩から〃恋文〃を届けるようにとの命を受け、無事その任務を遂行した褒美に一箱を頂戴した、という。もっとも、味の方は「全然だった」ということで、それ以来「ヤニの世界」とは無煙(?)だとうそぶいておられた。
閑話休題。天声人語子は前日に判決が下った「言葉による職場でのイジメ」(パワーハラスメント)の問題を、寺山さんの言葉を借りながら論じていた。
そう、言葉は時に人を殺す「凶器」ともなり、また時には人を助ける「救命具」とも成り得る。
唐突だが、「マッチ擦るつかのま/眉山に木々赤し/身捨つるほどの故郷はある」と拙者は思う。
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