2007/11/01

君、昔なら不敬罪だよ!! - 懐かしい顔ぶれが続け様に -

2日続けて懐かしい顔ぶれが訪ねてきてくれた。一昨日が元長崎県島原振興局長の川端一夫さん。そして、昨日が元読売新聞島原通信部長の鬼木省三さん。

川端さんはその後、雲仙岳災害復興室理事を経て、長崎空港ビルの専務を務め、今夏からは県の社会福祉協議会副会長の要職にある。

ダンディさとエネルギッシュぶりは相変わらずで、久方ぶりに在任当時の〃川端節〃に触れることができて嬉しかった。

島原時代で一番思い出に残っていることは、地方行政機関の長として皇室の方々と直に接したこと。殊に両陛下を振興局にお迎えした時は「最大の栄誉で感激だった」と当時を振り返る。

その思い出話を聞きながら、拙者もとあるエピソードを思い浮かべて、改めて赤面してしまった。それは、お迎えの際の写真撮影での一コマ。

通常、皇室関係者や政府の要人が現地入りする場合は〃お付き〃の記者クラブの面々が随行してくる。そこで行われるのが場所取りのための抽選会だ。

スチールとテレビに分かれてアミダクジを引くのだが、たまたま両陛下が振興局入りされたその時、拙者は〃ド真ん中〃の好ポジションを得た。

だいたい30分から1時間くらい前から並ぶので、そのうちに尿意をもよおしたりする。いよいよ5分前、全員の緊張感が高まってきた頃合いを見計らって幹事社が最後の点検。

その日の幹事社は、皇室関係の記事を良く掲載している女性誌の記者だった、と記憶している。拙者はカメラのグリップをしっかりと握り締め、ピントと絞りを確認、連写態勢で構えていた。

とその時、幹事社が拙者の方を指差して、「島原新聞さん、ほら前、前が開いてる。昔なら〃不敬罪〃で捕まるところだよ」。

一同、笑い転げる大失態だったが、本番は無事に済ませることができた。今にして思うに、あの時の幹事社は『女性自身』(光文社)ではなかったか!?

鬼木さん(読売新聞→スポーツ報知)は、12月1日に開催される「第10回記念島原・雲仙学生駅伝大会」の打合せのため、来島した。実兄は先ごろ親和銀行の頭取に就任したばかりの鬼木和夫さんだ。

当然の成り行きとして晩に一杯やったのだが、その際に話題になったのが数日前にライバル朝日新聞の『天声人語』にも掲載されていた「鬼ダチ」の話。

それによると、「鬼ダチ」とは、とても仲の良い友人のことを意味する若者言葉で、「親友」のようなものらしい。その意味でいくと、鬼木さんは紛れもない拙者の「鬼ダチ」だ。

余談だが、島高を卒業した鬼木さんの娘さんは福岡のCATV局「ジェイコム」でキャスターを務めている、との由。彼のことだからきっと「鬼可愛がっている」に違いない。