晴れてよし、曇りてよし - 研究者は無理でも探求者には!! -
「晴れてよし、曇りてよし、富士の山」 - 。島原市の名誉市民でもある故・北村西望さんが岳父宛にご寄贈下さった一幅の日本画がある。
その「富士山」には久しくお目にかかっていないが、古里の山「眉山」は朝な夕なに我々島原市民を見守ってくれている。
岳父の叔父に当たる故・清水辰一氏は公立高校の校長を退いた後、島原新聞社に入り、「眉山」を見上げながら『対山語』という随筆をものした。
確かに「眉山」の秀麗ぶりは、人々の心を捉えて離さない。まさに「晴れてよし、曇りてよし、眉の山」である。
つい、そんなことを考えながらセンチな気分に浸っていると、東京在住の普段から大変にお世話になっている方から、浅草・鳳神社の「酉の市」で仕入れてきたという「熊手」のお守りが送られてきた。
同封された手紙によると、それは「かっこめ」と呼ぶものだそうだ。福の神、幸運、縁起、ツキ…。ありとあらゆるラッキーをゲットせよ!!とのメッセージと受け取った。
お蔭さまで、今月11日の「一並び」の大安吉日に、島原半島で最初で最後と位置付けられている「コミュニティFM局」を開設することができた。
放送開始から2週間。日増しにリクエストの数も増えてきた。防災・防犯面での利活用は言わずもがな、身近な街のラジオ局として、市民生活に定着する日もそう遠くはあるまい。
世は押しなべてワールドワイドでグローバルな時代である。その事自体、否定はしない。しかし一方で、これ程までに「地方」「地方」と叫ばれた時代がかつてあったろうか。
弊紙百周年の記念号に祝辞を寄せて下さった、早稲田大学前総長の奥島孝康氏は「グローカリズム」という造語を携え、地方で暮らす校友に「意識改革」の大切さを訴えかけた。
今にして思うに「お説の通りだ」という気がする。国内ではないが、分かりやすい例が、フランスの「ボージョレ・ヌーボー」。この前テレビでやっていたが、生産地は人口2千人の小さな村だ。
それが11月の解禁日が近付くと、「今年の出来は?」だとか、「やれ船便だ、航空便だ」だとか、世界中のメディアが大騒ぎする。
ということは、我が島原半島にもその可能性は存分に秘められている、ということだ。尤もそのためには、綿密な下準備と広報戦略が求められる。
つい先日、アジアで初めてという「火山都市国際会議」が大成功のうちに幕を閉じた。会場には世界中から多くの火山学者、いわゆる「研究者」と呼ばれる人々が集まった。
彼らの思慮深そうな横顔を眺めながら、拙者も考えた。「研究者にはなれないが、我々だってそれぞれの分野での探求(究)者にはなれるぞ!!」と。
0 Comments:
コメントを投稿
<< Home