逍遥真蹟の書があった!! - 小浜・伊勢屋旅館で見つかる -
某日、我が人生の師、草野壬二郎翁が弊社に訪ねて来られた。いつもながら、この方の言動はとてもユニークである。
ひとしきり先日亡くなった長崎自動車元会長で長崎商工会議所元会頭だった松田さんについて語った後で、小脇に抱えた紙袋から何やらゴソゴソ。
さて、取り出したる中身は何かと言うと、「游於藝 逍遥人」と書かれた色紙風の写真が一枚。落款はなし。解説が始まった。
「坪内逍遥先生の書とは聞いていたが、真贋のほどが判らなかったので、早稲田剣道部部長で文学部教授の岩本憲児さん(八代出身)を通じて調べてもらった」 - 。
要は、その「結果」を伝える手紙を持参なさったのである。発信者は元演劇博物館勤務の菊池明さん。現在「逍遥協会」という所に属している、という方だ。少し長くなるが、調べていただいた逍遥日記の一部を抜粋する - 。
〈十月二十八日「南案内にて諫早より自動車、一時半小浜着、校友本多親宗に会ふ(伊勢屋旅館ニテ)其父某も来会、主人に頼まれて画帖に染筆、午後二時半自動車にて……四時三十分頃湯元に着す〉
菊池さんは手紙の中で「一見して、無落款ながら逍遥真蹟!!」と直感したことを明らかにし、草野翁が生まれたのと同年の大正11年10月に、夫人同伴で小浜温泉に宿泊したことを証明している。
H氏賞詩人の荒川洋治さんによれば、坪内逍遥は我が国近代小説の幕を開けた大人物。その代表作は題名もズバリ『小説真髄』(明治18年刊)。「鴎外も漱石も逍遥あったればこそ」との解説には、思わず膝を打った。
個人的には、女優、坪内ミキ子さんのジイ様(正確には祖父の弟)くらいの知識しか持ち合わせていなかったので、同時に自らの不明を深く恥じたことを良く覚えている。
しかし、「逍遥」とは実に味わい深い命名である。英訳するなら、ぶらぶら歩きの「ランブル」といったところだろうが、昔はそうした名前のクラシック喫茶が数多くあった。
名前が「逍遥」で、「游於藝」(藝に游ぶ)とくれば、これぞ何物にも捉われない、真の自由人。多くのシガラミに巻かれて息苦しい毎日を送っている我が身にとっては、実に羨ましい限りだ。
その点、草野大先輩は「逍遥の真髄」をまさに地で行く大人物だ。間違っても「商用の人」ではない。その辺が年老いてもなお、若い女性層を中心にファンが絶えない所以か!?
御年85歳の老体ながら、一たび竹刀を握れば、眼光鋭い剣士の威厳が辺りを支配する。
拙者を含めた〃不肖の弟子〃どもは時おり親しみを込めて「棒振り人生」と茶化しているが、みんな〃門下生〃であることを誇りに思っているのだ。
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