市川監督のメガホンで - 「東京オリンピック」を撮影 -
14日から15日にかけての新聞各紙を読むと、映画監督・市川崑さん(13日死去)にまつわる記事に多くを割いている。
小生は〃映画通〃ではないので、氏の作品は余り観ていない。ただ、「東京オリンピック」だけは別。スクリーンいっぱいに太陽が昇るシーンは特に印象に残っている。
同大会が開催されたのは昭和39年(1964)であるから、映画化は恐らくその翌年だろうが、当時、学校教育の一環として鑑賞させていただいたことを覚えている。
小生の学校の近くには映画館なるものがなかったので、小浜の温泉街にある映画館まで、先生の引率で歩いて行った。形を変えた遠足のようなものだ。
その頃、小生はまだ小学生(4年生)だったが、子どもの目に映る小浜の温泉街は〃大都会〃だった。温泉熱を利用した「バナナ園」もあった。
映画の中身云々はともかくとして、薄暗い照明の向こう側で繰り広げられる華やかな〃スポーツの祭典〃には、完全に度肝を抜かれた思いだった。
一方で、これで味をしめた訳ではないが、何となく〃淫靡な香り〃が漂う映画館そのものに魅かれていった。中学生になってからは、脚が少しでも伸びるようにとの願いを込めて、自転車のサドルを目一杯上げて通いつめた。
お目当ては「不良番長シリーズ」。この時、ハリウッド映画等の名作に触れておけば、少しは人生の方向性も変わっていたのかもしれない…。
同シリーズの主役は梅宮辰夫や山城新伍ら。今で言う「アクション喜劇」の一種で、適度にお色気シーンもあって、胸をときめかせていたのも事実だ。
話がまったく脇道に逸れてしまったが、「東京オリンピック」の太陽が昇るシーンを撮影したカメラマンは、実は、島原市三会出身の人だ。
確か「林田さん」という方で、もう10年以上も前に、その伝記本を島原新聞で紹介した記憶がある。残念ながら、お名前を失念してしまった…。ということで、本日は取り上げることができないので、後日また改めて!!
ところで、今年(2008)は北京オリンピックの年だが、東京オリンピックはアジアで初めての開催だった。確か第18回だった、と記憶している。
この大型イベントを機に、日本は〃高度成長への道〃をひた走ることになるのだが、政治家・河野一郎と市川監督との〃確執〃ばかりでなく、その背景では色んな〃ドラマ〃も生まれている。
東海道新幹線(夢の超特急)の開通もそうだろうし、高度経済成長路線へ舵を切った池田隼人総理の無念の死もその一つだ。
島原でも同年、島原城天守閣が完成。漏れ聞くところによると、我がNTT局舎もその年に竣工したとのことだが、本当だろうか?
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