2008/03/27

欲しいの、必要なの? - しっかりせんば、島原人!! -

このところ連続して「良書」に巡り合っている。陽気のせいもあろうが、なぜかそれだけで嬉しい。

筆頭は永六輔さんの『もっとしっかり、日本人』。ヴィレッジブックスから出ている新書本だ。

元は、永さんが出演したNHKの「視点・論点」の放送内容を取りまとめたもの。全編、話し言葉で書かれているので、読んでいるうちに、あの独特のかん高い声で語りかけられているような気がする。

中身は読み応え十分だ。なかでも〃傑作〃と思ったのは「あの一億円」というタイトルの章。一億円とは、竹下登元総理が全国一律(3056市町村)に配った「ふるさと創生資金」のことを指す。

通常の感覚では、もうとっくに記憶の彼方に消え去った感さえある同資金だが、永さんの〃口〃にかかると、その本質(問題点)がものの見事に浮き彫りにされるから不思議だ。

永さんの考えでは、貯蓄に回した自治体(首長)は愚の骨頂。金塊にせよ、温泉の掘削にせよ…失敗してもいいから「地域活性化のため使うこと自体に意味があった」というのだ。

問題はそこから先。永さんは幼かった頃、近所に住んでいた大工の棟梁の言葉を借りて、人生の要諦を衝く。

〈江戸っ子が宵越しの金はもたねぇなんていうのは、あれはもらった金のことをいうんだぞ。稼いだ金は大事に使いな。もらった金は、その場で使え〉

〈で、稼いだんだか、もらったんだかわからない性質の金ってものがある。これは受け取っちゃいけない金だ〉

この言葉だけでも十分すぎるほどの〃含蓄〃が漂うが、さらに棟梁の話は続く。状況は、子どもに小遣いをねだられた親。

〈お前、それは欲しいのか、必要なのか。欲しいのなら我慢しな。世の中、そんな甘いもんじゃない。必要なら、何とかしてやろうじゃねーか〉

小生はここまで読んでハタと膝を打った。この春、念願の志望校に合格した三男君が、携帯電話をしきりと所望していたからだ。

「それは必要なのか、欲しいのか、どっちだ。必要なら買ってやる。欲しいだけなら我慢しろ」。本に書いてある通りに喋ったら、万事うまくいった!!

たまたまだが、島原市の行改審議会の最終会合が昨日あって、会長職を仰せつかっているため、締めの挨拶をすることになった。その席で持ち出したのが、前述の棟梁の話だ。

「行政改革はある意味、市民の皆様に負担を強いること」 - 。金子副市長の言葉に間違いはない。まさに、その通りだ。

この先、かなりの確率で、これまで通りのサービスが望めなくなるだろう。その際の考えの中心に、棟梁の言葉を持って来ると、実に分かりやすい。

〈それって必要なの、それとも欲しいの〉 - 答えはみんなで考えましょう。