手を出すのはどっち? - 小4の10%以上が〃毛来〃と -
‐(株)CATV島原専務 清水眞守‐
ふだん何げなく暮らしている中で、たまらず可笑しい場面や言葉づかいに接することが多々ある。昨夜もそうだった。いつものように気の置けない仲間数人と、焼鳥屋で一杯やっているうちに、その言葉は出てきた。
「若いうちは、女房に『手を出す』ことも度々だったが、最近では年のせいか、それもすっかりなくなった。一緒に山登りなんかを楽しんでいる…」。
最初聞いた時は、「なるほど夫婦とはそうしたものか」と、ほのぼの気分に浸っていたが、よくよく考えてみると、「手を出す」のは「他所の女性」であって、「正妻」ではないはず。
この場合はやはり、「手を上げる」というのが正しい言葉の使い方だろう。それとも、疎遠になった閨房(けいぼう)での営みを懺悔した発言だろうか。
漢字の読み違いも面白い。我が家の「キンコスケヤク」君もこの春から晴れて高校生になったが、最近の子供たちの間ではこの手の間違いは割かし〃日常茶飯事〃だ。実際に聞いた傑作編をいくつか - 。
まずは、平安時代の武官「坂上田村麻呂」(さかのうえの・たむらまろ)。本人がいたって真顔で「いたのうえの」と発した時は思わず目が点になった。
「はしら・たろう」内閣にも笑った。もちろん正解は「かつら・たろう」内閣であるが、なるほど、「柱」と「桂」は良く似ている。
腹がよじ切れそうになったのは、偉大なる中国共産党の指導者「けざわ・ひがし」。そう、あの「毛沢東」主席のことだ。
こうした〃現実〃を裏付けるデータとして、読売新聞の記事広告が出ている。そのコピーにはこうあった。〈小学4年生の10%以上が、「たくさんの〃けらい〃」を〃毛来〃と書き間違えている〉と。
小生が大学生になって初めてフランス語を学び始めた頃に流行った言葉が「マオ・ツェ・トゥー」だった。直訳すると、「マオ(毛)は何でも知っている」というのだそうだ。
思想的な背景などはまったく知らなかったが、附属からエレベータ式に上がってきた「民青」所属の青年がしきりと口にしていたのを覚えている。
しかし、最近は同じ「マオ」でも、日本で有名なのはフィギュアスケートの「浅田真央」の方だろう。何せカワイイ!!
まあ、それはともかくとしても、言葉の乱れは決して歓迎すべきものではない。『国家の品格』の著者である藤原正彦さんは「祖国とは国語」と言い切っているくらいだ。
子供の間違いはまだ許せるとしても、テレビの司会者などが「何気に」とか「自分的には」などと言い放っているのを聞くにつけ「鳥肌が立つ」思いだ。
連中は「感動で鳥肌が立ちました」などと平気で使っているのだから、まったく…。
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