そろそろ出張に飽きる - 島鉄〃逆襲スイッチ〃はいつ -
昨日は終日、打合せに追われた。ジャスダックに上場している取引先のオフィスは、恵比寿駅のすぐ近くにあった。
淡いグレーのスーツ姿で現れた社長は、びっくりするほどカッコ良かった。後で年齢を訊くと、40代後半ということだったが、10歳は若く見えた。
午前中2時間、途中昼食を挟んで夕方6時まで、懸案の課題について意見を交わした。それが何であるかは現時点ではまだ〃企業秘密〃である。
一つだけ言える事は、それが弊社にとっても、はたまた島原半島にとってもグッドニュースであることだけは確かだ。特段、投資を伴う事業ではないが、かなりの〃先進性〃を含んでいるテーマなので慎重を期したい。
学生時代は、その恵比寿に住んでいた。卒業からかれこれ30年近い歳月が流れたが、都内でもこれほど変貌を遂げた街も珍しいのではないか。
昭和50年代の恵比寿は、交通の便こそ良かったものの、サッポロ(エビス)ビールの工場の臭いが蔓延する、渋谷のオマケみたいな所で、駅前にはパチンコ屋とサウナくらいしか大きな建物はなかった。
それが今ではどうか。駅ビルはオシャレなテナントショップで埋まり、テレビ局の分室まである。乗降客の数も昔と比べると〃雲泥の差〃である。
だが何より、この駅に降り立って一番先に感じるのは、姿は違えどもサッポロ(エビス)の城下町である、ということ。その証拠に、山手線のホームでは常にエビスビールのテーマ曲が流れている。
この方式は、ここだけの〃オリジナル特許〃ではないが、何となく耳になじむから不思議だ。ちなみに高田馬場駅では、手塚治虫さん(虫プロ)に由来して「鉄腕アトム」が流されている。
今ではどうか知らないが、以前に訪れた大分・竹田駅では、滝廉太郎生誕の地にちなんで「荒城の月」が迎えてくれた。
翻って、我が島原駅。確かに駅前広場には「子守唄人形」が設置されてはいるが、音楽はない。響いてくるのは、駅員の無機質な案内アナウンスだけだ。
これでは、観光の表玄関としては余りにも〃無愛想〃過ぎないだろうか。ホテルやレストランに限らず、客商売では「いらっしゃいませ」の挨拶が基本だ。善処方を望みたい。
さて、東京滞在も今日で4日目。財布もすっかり薄くなり、ホテル暮らしもそろそろ飽きてきた。正直、早く島原に帰りたいが、もう1日だけ長崎市内での会合が控えている。
窓の外を眺めると、さっきまで静かだった大崎の街も徐々に動き始めた。原稿も一段落したところで、コーヒーでも飲もうか、と電気ポットのコンセントを差し込んだが、何の反応もない。
アレコレいじくりまくっているうちに、ようやく赤ランプが点いた。島鉄に開業百年目の〃逆襲スイッチ〃が入るのは、はていつ頃だろうか…。
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