鉄道マニアはネクラ!? - 加津佐駅で乗車拒否くらう -
春風を受けての自転車の滑走ほど気持ちの良いものは、そうざらにはないだろう。「田の平」の下り坂はその条件を備えていたが、いかんせん〃向かい風〃が強くて、閉口した。
国東半島を右手に見ながら左折するとすぐ、崖崩れ防災用のロック・シェッドが待ち受けていた。中に入ると、一瞬の静寂の後、波濤(はとう)の砕け散る音が耳に響いてきた。
昭和40年代、大雨の度ごとに崩れ落ちていた〃難所〃の1つだ。それが今ではこうして安心して走れるようになった。
横風を受けながらもひたすらペダルを漕ぐ。思いのままに進まないが、休めば、ストップしてしまう。だから、漕ぐ。
「小津波見」を過ぎたらいよいよ加津佐町だ。「岸信介岩」が右前方視界に現れた。自転車を降りてシャッターを切ったが、孫の安倍晋三さんは今頃どうしておいでだろうか?
「津波見」「権田」「串」「野田」を通って加津佐の町中に入った。次なる休憩予定地の「島鉄・加津佐駅」が見え始めてきた。駅周辺には、多くのテレビカメラが待ち構えていた。
小生も〃野次馬〃の一人として駅構内へ。11時20分過ぎ、旧式の「キハ型車両」から黒山の人だかりが一斉に降りてきた。カメラらビデオを手にした家族連れの姿が目立つ。
殺到する取材陣。乗客らは時おり顔を上気させながら、「懐かしい」「ずっと走り続けてほしい」などと口々に答えていた。
それにしても不思議に思うのは、鉄道マニアにはどうしてこうも〃ネクラ型〃の人間が多いのだろうか。みんな、どこか共通する〃臭い〃を発散しているような感じだ。
もういい加減に疲れ果てていたので、改札口で「自転車は乗せられないのか?」と尋ねたら、「折りたたみ式なら良いが…」との答え。要件の満たしようがないのですぐに諦め、再びサドルに跨った。
高校駅伝の折り返し地点となっている、同駅から「野間水」までの坂も相当きつい。ケツも痛いので、押しながら登った。
左手に母校・口加の校舎。青雲の志を抱いて(?)門を叩いたのは、早37年も前のことだ。国道なら「久木山」から「東方」へ抜けねばならない所を、「真米」の急坂を伝ってショートカット。
親和銀行口之津支店脇の交差点を左折すると、旧役場や駅、警察署などの公的機関が集中している「口之津港」はすぐそこ。
駐車場は天草へ渡る大型トラックで満杯状態だった。腹が減っていたので、「チャンポン」の看板に引かれて、迷わず近くの食堂へ飛び込んだ。
店の名前は「すだち」。何か徳島と関係があるのだろうか、と疑問に思ったが、疲れて面倒くさかったので黙って「カレーチャンポン」を注文した。すこぶる美味であった。
‐つづく‐
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