小浜温泉鉄道跡を往く - 素晴らしい!!富津の海岸線 -
「愛野展望台」からの坂道は一気に駆け下った。体感では恐らく60キロ以上は出ていたはずだ。
途中、日頃の憂さ晴らしに、腹の底から大声で叫んだ。具体的な氏名は避けるが「○○のバカヤロー」などと…。
橘神社の桜も観たかったが、そこから先の〃坂道〃を避けるため、急きょ商店街方向に右折。途中、予想だにしなかった雨がパラついてきた。
だが、その雨はたいしたことはなく、すぐに雲間から太陽が顔をのぞかせた。人騒がせな天候だ。
そこから先は勝手知ったる〃汽車道〃だ。「少年自然の家」の入口付近に、ポケットパークに合わせて石碑が建てられていた。
碑文には「旧小浜温泉鉄道・上千々岩駅」と刻んであった。説明板にはその由来 - 。
「関東大震災」の年の大正9年5月に愛野~千々石間が開通。昭和2年3月に小浜まで延伸。同13年8月に閉鎖、などと記してあった。
さらに進んでゆくと、右手には千々石灘の雄大な海原。愛野カントリー方向に視界を戻すと、風力発電のプロペラがゆったりと回っていた。
馬蹄形のトンネルに入った。対向車のライトが眩しいが、出口はもうすぐそこだ。
記憶が巡ってきた。これまた他愛もないクイズだが、トンネル(隧道)の「入口」と「出口」はどう決めるか?答えは「県庁に近い方が入口」だと言っていたが、真偽のほどはまだ確かめていない。
2番目のトンネルを抜けると、次は「木津の浜駅」。ここの石碑にはどういうわけか、経済産業省の「近代化産業遺産」のプレートが嵌められていた。
次なる「富津駅」の石碑は見過したが、眼下は〃リアス式〃を思わせる入り組んだ海岸線で、相変わらずの〃景観美〃を誇っていた。素晴らしい!!
と、1年ほど前に、写真家の藤原新也さんが取材のため現地を訪れ、「コヨーテ」に掲載していた作品のことを思い出した。(※藤原さんは、とっとっと「七角堂」の揮毫者)
石合の浜を抜けると、いよいよ小浜温泉。かつては多くの湯治客や修学旅行生でにぎわった温泉街は閑散としていた。
象徴的だったのは、かつて同温泉のランドマーク的存在だった「小浜観光ホテル」の休業。構えが大きいだけにひとしおだ。
少し引き返して、「旧県営バスターミナル」の待合室を覗くと、ほぼ全員と言って良いほど老人客で埋まっていた。
少なくとも我々が高校生だった昭和40年代までは、この建物は活気で満ち溢れていた。
「長崎」「雲仙」「口之津」…と次々と繰り広げられる行先別のアナウンスに聞き惚れ、窓越しに眺める併設のレストラン「ニュー小浜」はまるで異次元の都会の雰囲気だった。
‐つづく‐
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