2008/04/02

失われし時を求めて - 時計と逆回りのコースで -

年度末の31日、「島原半島1周自転車の旅」に出かけた。おかげで今日(1日)は、身体中がクタクタの状態だ。

きっかけは他愛もない、ゴルフコンペ後の酒席での法螺話だった。同会は年に4回実施することから「四季の会」と名付けられている。

会長は島原商工会議所副会頭で島原食販社長の水元敦実さん。業種の異なる珍妙なメンバー約20人が参加している。

先月初めに行われた例会で誰かがふと口走った。「そろそろ時候も良くなってきたから、次は趣向を変えて『ツール・ド・島原半島』ばしましょかい?」。

「どがしこ、かかっじゃろかい?」「外周約100キロじゃけん、時速20キロ平均で走れば、5時間で着くとん」「そんなら朝早よ出れば、昼過ぎには島原に戻って来らるっばない」 - 。

自転車ならぬ、そんな〃口車〃に乗った小生が、浅はかと言えば浅はかであった。

当日は午前6時前に起床し、まだ明けやらぬ中を一路「マイ・バイスクル」が置いてある白土町の事務所へ。朝のFM番組の担当者である「よっしぃ」はすでに出社していた。

出発時刻は6時25分。ルンルン気分で音無川を渡って国道に出る頃には、東の空には早くもお日様がサンサン。

そうか、真冬の頃より1時間も日昇が早まったか!!そんな感慨に浸りながら、出足はすこぶる絶好調だった。

コースは最初から時計の針とは逆の「北回り」と決めていた。なぜなら、自身にとっての「失われし時」を少しでも取り戻したかったからだ。

最初の休憩地は国見町神代。出発から1時間強が経った頃合いを見計らって「よっしぃ」から電話がかかってきた。

「モシモシ、社長、今どけおっと?」。福岡生まれの、たどたどしい〃島原弁〃が携帯越しに響いてきた。しばしのやりとり。

再びペダルを漕ぎ始める。普段、車に乗っていても全く気にならない少しの勾配でも、やけにきつい。息が切れる。

度々のギア・チェンジ。登り切ったら、次は下り坂だ。ペダルを漕がなくてもスイスイと流れるように走り出す。と、また坂道。

2度目の休憩は吾妻町阿母崎。奥村雲仙市長の奥様の里だ。亡くなった有明町の写真家、西川清人さんが「阿母崎の坂を境に天候が変わる」と言っていたことを思い出した。

愛野の町中を抜け、前半の難所である「愛津」から「愛野展望所」までのダラダラ坂。途中までは立ち漕ぎで頑張ってみたが、先はまだ長いので、途中でやむなく降りた。

ふと傍らの道路のコンクリート縁石を見ると、「ド根性雑草」がそこかしこに顔をのぞかせていた。自然は逞しい!!さらに歩を進めていくうちに、土筆の大群に出くわした。

‐つづく‐