2008/04/01

線路は続くよ外港まで - 〃遍路道〃にならぬように -

線路は続くよ どこまでも 野をこえ 山こえ 谷こえて 遥かな町まで 僕達の 楽しい旅の夢 つないでる…

島鉄南線がいよいよ明後日で廃止されることになって、思わず口ずさんでしまったこの歌が、日本の童謡でなく、アメリカ生まれの民謡だったとはつゆ知らなかった。

「ウィキペディア」によれば、原曲は1863年から始まった大陸横断鉄道建設に携わったアイルランド系の工夫たちによって歌われ始めた〃労働歌〃の一つだという。

日本に広まったのは比較的新しく、1967年(昭和42)にNHKの「みんなの歌」で紹介されてから、とのこと。ちなみに作詞は同番組の初代ディレクターだった佐々木敏氏。

さらに「シリーズ日本のうた」の説明によると、この歌が日本に渡ってきたのは昭和30年で、当時のタイトルは「線路の仕事」。それが同40年に教科書に採用され、平成7年まで掲載されたのだそうだ。

洋の東西を問わず、鉄道敷設は国家(地域)の一大事業である。ましてや大陸横断ともなれば、その労苦は想像の範囲を遥かに絶するものであったろう。

前述の「シリーズ - 」では、ジャガイモの疫病による大飢饉で祖国を追われたアイルランド系移民の逞しい働きぶりを、原曲の歌詞(和訳)とともにとして紹介している。

朝から晩まで 線路で暮らす のんびりやるさ鉄道稼業 笛の音も高い朝早く キャップは叫ぶよ ダイナ、ホルンを吹け、と〉 - 以下2番まで続く。

こうやって歌詞を比べてみると、随分と中身に開きがあるが、大陸横断鉄道も島鉄も、その建設時点での「志」は〃相似形〃だったはずだ。

恐らくここ数日間は、南目沿線も鉄道マニアや地元乗客入り混じって〃大いなる賑わい〃を見せることだろう。

だがそれは、ノスタルジーが演出する〃幻の一幕モノ〃に過ぎない。もう4月1日からは、昨日まで走っていたシマテツの姿は視界から消えるのである。

4万有余の署名を携え再三にわたって存続(休止)を求めた地元住民有志の願いは、採算性を最優先とする「企業論理」の鉄橋を、ついに渡り切ることは出来なかった。

廃止の影響を緩和する施策としての「代替バス」は、北米大陸になぞらえるなら、さしずめ「グレイハウンド」的な役割を果たすことになるのだろうか。

いずれにしても現実問題、島鉄の運行はもう「島原外港駅」で途切れる。結果を受けて、会社も地元自治体も「今後をどうするか」が厳しく問われていくことは必至だ。

今となってはその跡地が、島鉄生みの親である植木元太郎翁や先人の遺徳を偲ぶだけの、草茫々の「遍路道」にならないことを願うばかりだ。