八幡さんが間違い正す - 〃気骨〃の川内康範さん逝く -
世に「て・に・を・は」(助詞)にうるさい御仁は沢山いるが、関東島原半島会創立60周年大会実行委員長の八幡秀昭さんは、恐らくその筆頭格だろう。
先般も島原高校校歌(宮崎康平さん作詞)の3番目の歌詞の間違い(転記ミス)を見つけ出し、和子夫人の了解を得た上で、学校側に訂正させたほどだ。
それは「燃ゆる希望の憧れ〃を〃」のくだりを「 - 〃も〃」と改めたもので、国語教諭だった柳川伸一前校長(4月から長崎女子高校長)も余りの観察眼の鋭さと、熱意のほどにタジタジだった、とか!?
その八幡さんが先日、5月17日(土)に東京プリンスホテルで開かれる同会創立60周年記念大会の打ち合わせのため帰郷した。
小生も「還暦を超えたら東京と古里の架け橋となる」と公言して憚らない同氏に、鋭く〃過ち〃をエグられた。
それは、3日付け掲載の小浜温泉鉄道の開設に関するコラムの一節。小生が関東大震災の年を「大正9年」と誤記していた点を指摘されたのだ。
「関東大震災はボクの〃おふくろ〃が生まれた年だから、大正12年ですよ。間違いありません」。返す言葉もなかった。
「おふくろさん」と言えば、作詞家の川内康範(かわうち・こうはん)さんが亡くなった。最近では、森進一との間での〃師弟論争〃でふたたびその名を世間に知らしめたが、まさしく〃気骨〃の人であった。
8日付け読売新聞の一面コラム「編集手帳」では、貧しかった時代の〃売血〃の話と併せて、自らの不遇を顧みることなく他の貧者に施していた母親のことを紹介している。
昭和を代表する大ヒットとなった「おふくろさん」が生まれた背景には、その母の崇高な姿が色濃く反映されていた、という。また同紙社会面には、作品リスト一覧を掲載。
まず作詞の分野では、代表作の「月光仮面は誰でしょう」をはじめ「誰よりも君を愛す」「骨まで愛して」「座頭市」など。変わったところでは、「にっぽん昔ばなし」も。
テレビに限らず映画の脚本も手がけており、小林旭主演で日活全盛期の記録的なヒット作となった「南国土佐をあとにして」も氏の作品だった。
「東京流れ者」も、だ。今では重厚な渋い演技に加えてとぼけたあじわいまで醸し出している渡哲也が、飢えた狼のような役柄を演じていたのが妙に印象に残っている。
森進一は自身の軽率な発言の〃打ち消し〃に躍起となって「虎屋の羊羹」を持参して青森の恩師のもとまで出向いた。が、門前払いをくらった。
まったく関連はないが、弊社を訪ねて下さった八幡さんの手土産も同じく虎屋の羊羹だった。小生は〃気骨〃とは関係なく、素直に美味しくいただきました、ハイ。
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