2008/05/08

人の世は〃重き荷〃を… 連休最終日に雲仙登山を敢行

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水、眞守‐

長きにわたる「黄金週間」も終わった。だが、「黄金」とは名ばかりで、小生の場合は暦通りの4連休。うち3日間は何らかの形で出社したので、しっかりと休めたのは最終の6日くらいだ。

晴天に恵まれたその日、車で雲仙(宝原)へと向かった。ひょっとしたら「ツツジの群落」が観られるかな、と期待して出かけたのだが、まだ〃満開〃には程遠い状態だった。

そこを起点に、ふだんから可愛がって頂いている先輩方と一緒に「高岩山」に登った。何日か前の長崎新聞のコラム「うず潮」で、これまた大先輩の浅賀俊策先生(長崎市在住)が健筆をふるっていた山だ。

いつもの仕事着スタイルで集合場所に現れた小生の格好を見て、ある先輩が「良かけん、杖ば持っていけ!!」と貸してくれた。手に持つと伸縮自在な立派なピッケルだった。

さすがに日本一の「富士山」や「屋久島」を次々と征服した山男(?)の言葉だけに、ピッケルの軽さとは裏腹に、その響きにはある種の〃重み〃が感じられた。やがて、その言葉の意味は〃実感〃となって我が身に降りかかってきたのである。

ハッキリ言って、最初のうちは「標高千㍍弱の小山」と高をくくっていたが、一休みしたあとの急勾配にはホトホト苦労した。その際、殊のほか役立ったのが件(くだん)の「杖」であった。

何せ典型的な〃メタボ体質〃である。そんじょそこらの人間とは、背負っている〃肉の総量〃が違う。ヒーヒー、フーフー…。足取りの鈍化と比例して、悲鳴の声も高まる。

残り50メートルの石段を登る頃には、もう断末魔に近い絶叫調であった。それでも、皆さんの後押し(精神的な意味合い)と「杖」の支えで、何とか頂上を極めることができた。

ガクガク状態の膝をいたわりつつ巨岩の上に立つと、平成新山の山容から雲仙の温泉街まで手に取るようにわかった。さらに奥まった社前の広場からは、湯島(談合島)や天草の山並みが一望できた。

「登りは短く、下りは長く」。教わった通りの「杖」の使い方で、一度も転ぶこともなく出発地点の宝原公園まで辿り着くことができた。所要約1時間。弁当の美味かったこと!!

午後の部は、予定していた「矢岳」を止めて、白雲の池から「衣笠山」に登ったが、「高岩山」ほどきつくはなかった。それでも最後、百㍍ほどの石段は恨めしい限りであった。

息を切らし、脚を引きずりながら、暖簾などによく刷られている徳川家康公の遺訓をいつしか思い出していた - 〈人の世は〃重き荷〃を背負いて…〉。

「まったくその通りだ!!」と思いつつ2つの山を征したが、下山後の体重計測定では〃重き荷〃に何ら変化はなかった。