2008/05/20

遠距離生中継に成功!!…青梅にあった吉川英治記念館

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

この春最大のビッグイベントだった「関東島原半島会」の〃生中継〃を無事に終え、日曜の夕方便で帰郷した。NCCの前原晃昭社長とは期せずして同じ飛行機だったが、松島世佳南島原市長とは別便ながらほぼ同時着。空港片隅の喫煙コーナーで、互いの労をねぎらい合った。

700人以上が集まったパーティの盛会ぶりについては、すでにカボチャテレビで紹介済みなので、敢えて〃重複〃は避ける。それにしても、大した結束ぶりであった。一つだけ注文を付けるとすれば、普段の地域づくりに関しても、こうありたいものだ、と願う。

実行委員会の方々のご苦労の程は言わずもがなだが、忘れてならないのは当社社員スタッフの頑張り。まさに〃縁の下の力持ち〃の役回りを存分に果たしてくれた、と考えている。それは現場に出向いて行ったメンバーに限らない。1千キロも離れた地点からの音声&映像情報を滞りなく受配信してくれた留守部隊の活躍も見逃せない!!

〃晴れの舞台〃でいち早く当社の存在をご紹介いただいた島原市の吉岡庭二郎市長の心配りにも深謝。ここで得た自信は大きく、今後のCATV業界の未来にも大きな一石を投じることにもなろう。

東京3泊目の目覚めも爽やかだった。この日は少しルートを変え、霞ヶ関から赤坂見附一帯を歩いた。日枝神社裏の坂道は、日比谷高校名物の〃遅刻坂〃として知られる。その隣が火事になったホテルニュージャパンだったが、若かりし頃にそこで修業していた岩本哲男さん(蛭子町、元九州ホテル料理長)の姿はもうこの世にない。

一ツ木通りもすっかり様変わり。昔見た名前はほとんど見かけない。島原出身の田近東吾さんが敏腕外信部記者として活躍していたTBS本社も大きくセットバックしていた。

最終日は空港集合の自由行動日としていたので、愚息を伴って伊豆大島からこの春に転居した、青梅市内の義妹夫婦宅を訪ねた。都心から随分と離れており、特急快速を使っても乗換えを入れると、ゆうに2時間近くはかかった。

離れ小島から多摩の山奥へ - 。せっかく〃花のお江戸〃にいるのに、この夫婦も随分と〃酔狂な〃連中である。しかし、その先入観は駅に着いた途端に粉々に粉砕された。

渓流美が素晴らしい!!電車内は〃山歩き姿〃の初老の人々で溢れている。電話での指示通り、駅前の横断歩道を渡ったら「マモちゃーん」…。聞きなれた甥っ子の声。外地で孫に出会ったような気分だ!?

義妹の案内で、近くに吉川英治記念館があることを知った。第3回目の「ターニングポイント」のゲストは、その吉川英治賞(昭和42年、第2回)にも輝いた宮崎和子さん。何の準備もしていない。果てどうなることやら…。