2008/06/25

苦労厭わぬ明るい性格…草野さんの『明日に架ける橋』

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

やっと晴れ間がのぞいたと思ったら、一夜明けたらまた雨。季節柄、仕方がないとはいえ、やはり鬱陶しい。周囲を見回しても、どことなく打ち沈んだ連中が多いように思われる。

そんな中、昨夜の『ターニングポイント』に登場してくれた、伊勢屋旅館女将、草野有美子さん(52)の元気ぶりは圧巻だった。

番組でも話したように、小生とは同い年である。とは言っても、面識ができたのは、先方が昭和54年に結婚なさってからだ。

松浦の造り酒屋の次女として生まれ、何不自由なく育った幼女時代。ところが、小学校2年生の時に突然の不幸が襲う。家業の倒産である。

一家は平戸に移り住み、今度は酒類の小売業で生計を立て直していたが、高2の折、再びの経営破たん。当時はまだ「平戸大橋」が架かっておらず、夜逃げ同然の格好で島外脱出。

「大好きだった数学と理科の教科書以外はすべて船着場に捨ててきたわ。とにかく、ヤクザに捕まらぬよう、それだけを考えて動いていたのよ」 - 。

まだ16歳の少女が、である。本人はまるで昨日のことのように、淡々と振り返ってみせるが、当時の胸中やいかに…。

そして始まった、母の里、島原での生活。親戚が経営するホテル内の小部屋で、姉と肩を寄せ合うように暮らした。少しでも足しになれば、と観光客相手に「子守唄」を踊る。

投げ銭(おひねり)を拾い集める際に噛みしめた屈辱の味。が、背に腹は代えられぬ。ここから24歳で結婚するまで、親に金銭的援助を受けることは一切なかった、という。

自ら稼いだお金で島高、活水短大を卒業。ミス島原にも選ばれた。結婚は自らの意志で、周囲の大反対を押し切った。「私から持ちかけた大恋愛でした」とノロケ目線で笑わせる。

ところが、新婚生活は〃バラ色〃どころか〃悪戦苦闘〃の毎日。そうこうするうちに、岳父が突然の町長選出馬表明。呆れてモノも言えなかったが、「しょうがない」と町内全世帯の3分の2を歩いて回った。

結果は32票差の薄氷の勝利。以後、3期連続して町長職にあったが、旅行形態の変化や景気停滞の悪影響も重なって、旅館経営はじわじわと〃苦境〃に追い込まれていった。

それでも「しょうがない!!」と意に介さないところが、この方の真骨頂。〃異業種〃の人々との交流を重ね、温泉観光地における新たなサービス業のあり方に知恵を絞った。結果は、日本商工会連合会の弁論大会で晴れの〃日本一〃。

最近は、米大統領選の「オバマ候補」に勝手に肩入れするなど、明るい話題づくりでも活躍。地元に昔から伝わる保存食材にヒントを得た「エタリソース」の普及にも余念がない。

好きな歌第一番は『明日に架ける橋』。その橋桁は、ほぼ完成しつつあるようだ。