人間はバランス次第…賄賂と売春はいつの世も…!?
‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐
島原文化連盟元委員長の平尾勇さんに訊いた。「先生、優れた俳句作品とは、やはり視覚的なイメージを伴うものを言うのでしょうね…」。ド素人の不躾な質問にも拘わらず、「まあ、そんなものですかなぁー」と、苦笑いを浮かべながら答えて下さった。
同先生は、句作で頭を捻られているせいか、実年齢より遥かに若く見える。巷では、「頭」と言うか、「脳」に関する本が良く売れているそうだ。小生などは典型的な「右脳人間」だろう。逆に言うと、物事を論理的に考えること自体、全くもって不得手なのである。
おかげで、得もするし、損をすることもある。割合でいくと丁度〃半々〃くらいか。そんな割り切り方ばかりするから「お前は論理的でない」という謗りを受ける。しかし、こればかりは持って生まれた〃性格〃なので仕方がない。
どんぶり勘定の是非について、ここで云々するつもりはないが、全てをコンピュータの世界のように「0か1か」で割り切ることは、ある意味ナンセンスである。確かに、科学の世界では、そうした〃緻密〃と言うか〃周密〃な考え方こそが発達の礎となるのであろうが、それだけでは何となく味気ないではないか。
ところが、科学者にかかわらず、「エリート」と呼ばれる中央官庁に属する面々も、時おり似たような思いを感じているに違いない。他でもない〃居酒屋タクシー〃の一件である。
ガキの頃から「やれ天才」「やれ秀才」とおだてられ、長じては「お国のため」に深更まで仕事に励む。
やっと解き放たれた深夜の時間帯に、自分が守っているはずの〃国民〃の側からのささやかな貢ぎ物。一度のつもりが、二度、三度…。後は定番の〃なし崩し〃コース。中には〃金権〃の類いも含まれていたというから、ビックリだ。
この方々の辞書には「塵も積もれば山となる」という諺は入っていなかったのか。それとも「赤信号、みんなで渡れば恐くない」というビートたけしの諧謔性に富んだギャクの意味を取り違えたか。
だが、ちょっと待て。先年亡くなった皮肉の大家、山本夏彦翁のコラムに「賄賂と売春はいつの世もなくならない」というくだりがあったぞ。人はみな、どこかでバランスを取りながら生きている動物だ。夏彦説によるならば、今回やり玉にあがった千四百人余の官僚群は、決して歴史上の例外なんかでない。
どうかこの上は〃エリート意識〃なるものを過度に振りかざすことなく、普通のお役人として、「国家安寧」「国民の幸せ」のみを願って、本来の仕事にお励みいただきたい。
と、こんな事を書きながらでも、「嗚呼、何て俺は運の悪い人間なんだ…」と、舌打ちしている彼らの姿が目に浮かぶ。同じビジュアル素材でも、どちらかと言うと、こちらは川柳向きですよね、平尾先生?
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