早稲田佳子的なるもの…人間として〃力量不足〃を痛感
‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐
カボチャとFMしまばら共同制作の生番組『ターニングポイント』(月曜夜7時~)の第9回目(30日放送)のゲストは、有明町大三東出身で長崎市在住の早稲田佳子さん(花滴庵主宰)をお迎えした。
自分なりに綿密な準備をしたつもりだったが、本番を終えて何やら〃欠落感〃ばかりが残る。早稲田さんに対しては、申し訳なさで一杯である。
何故なら、華道家としての、今日の「早稲田佳子的なるもの」の根源となる、幼き日のエピソードを飛ばしてしまったからだ。
小学時代、一家は長崎市の戸石地区に住んでいた。「あの頃は、母に連れられてスミレやレンゲなどの野花を良く摘んでいたわ」と、当時を振り返る早稲田さん。
最大の思い出は、幾つものバケツいっぱいに彼岸花を摘んできて、学校中の教室に飾ったこと。壁掛け式の花瓶は竹筒を工作したものだった、という。
何とも〃時代〃を感じさせる逸話だが、筆者には根っこの部分の〃本質〃が、ここに集約されているような気がする。
放送当日の「生け花」は二作ともご本人の手になるもの。わざわざ長崎からご足労いただき、放送直前に実家の庭で摘まれた〃野の花〃が主役だった。
残念ながら花の名前はほとんど判らなかったが、それぞれの〃個性〃を最大限に引き出しつつ、全体のバランスを整えた手腕は、門外漢ながら「流石」(さすが)の一言だ。
休憩中にいただいた「お抹茶」も「お菓子」も殊のほか美味しかった。「肩の凝りが取れて、楽になるわよ」とのコメントを賜ったが、終始、聞き手としての〃力量不足〃を痛感した一時間であった。
どういう訳か、筆者はこの方の前に立つと(座っても同じだが…)、見透かされているような思いが先立って、ついつい〃緊張〃してしまうのだ。
一言でいうと「器」の違いである。もちろん経験からくるものもあろうが、人間としての「幅」が違うのである。以前、長崎市内のホテルで開かれたNHK長崎放送局の開局70周年記念パーティで、そのことを痛感した。
とにかく、どのような場所にあっても〃堂々〃とされているのだ。筆者が田舎者の常で隅っこの辺りでチョコマカとしていたら、手招きいただいて「名刺を出しなさい」との命。
次々とご紹介いただいた面々は、いずれも長崎財界やマスコミ界の名だたる方々ばかりであった。
万事においてオッチョコチョイの筆者は「このお調子者!!」と、よくお叱りを受ける。しかし、不思議なもので、早稲田さんから叱責されても、少しも嫌な感じがしない。
まあ、それもこれも「器の違い」の為せる業。今後とも〃慈愛〃に満ちた鞭でぶって、ぶって!!変態か俺は???
1 Comments:
ご無沙汰しています。ブログ拝見。とくに意見はありません。今後とも宜しく。
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