2008/07/04

霞か霧か、はたまた靄か…アナログ写真へのノスタルジー

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

この季節、雲仙はよく「霧」(きり)におおわれる。島原方面から行くと、俵石の展望台を過ぎた辺りから急に視界が塞がれるので、面食らってしまう。

ところで、厳密に言うと、このシチュエーションでの「霧」という使い方は間違っているのかも知れない。広辞苑で調べてみたら、「春は『霞』(かすみ)で、秋が『霧』」と言うのだそうだ。

では、春でもない、秋でもない今のシーズンは何と呼んだらいいのだろうか?総称として、「靄」(もや)という言い方もあるにはあるが…。

「霧」にまつわる歌謡曲は昔から多い。ざっと思いつくだけでも『夜霧よ今夜もありがとう』(石原裕次郎)『霧にむせぶ夜』(黒木憲)『霧笛が俺を呼んでいる』(赤木圭一郎)…。枚挙にいとまがないほどだ。

個人的な思いで言うと、久保浩という人が歌っていた『霧の中の少女』という曲が、今でも印象に残っている。

〈涙はてなし雪より白い 花より白い 君故かなし あわれ少女よ 霧の中の少女 消えて帰らぬあの世街角 いまも僕の心のうちに生きてる君よ〉

橋幸夫や三田明の曲を多く手がけた吉田正さんの作詞だから、恐らくビクター所属の歌手だったのだろう。確かヒットしたのはこの1曲だけで、後の作品は知らない。

2番、3番を紹介する紙幅がないので端折らせていただくが、どう読んでもこれは、亡き恋人に捧げる〃挽歌〃である。子どもの頃は何も考えることなく口ずさんでいたが、実に暗い内容だ。

ここで歌われている「花」とは一体何の花を指していたのだろうか…などとハンドルを握りながら考えていたら、可憐な「ヤマボウシ」の群落が視界に飛び込んできた。

普賢岳噴火災害当時は、西川清人さん(故人)の指導のもと、写真に凝っていた。そして、この季節は「霧」(?)を目指して雲仙の山々を駆け巡った。

被写体はヤマボウシであったり、アジサイであったり…。時にはちょっと翳のある女性モデルを伴ったりもした。

最近ではデジタルカメラの普及で、その場で出来不出来が判別できるが、当時は現像するまで判らなかった。フィルムも状況に応じてプロビア、ベルビアと使い分けていた。

いま思うと、仲間全員、そのプロセスを楽しんでいた節がある。品評会もワイワイ、ガヤガヤ。仕事柄、タイトル付けは小生の担当だった。

もう写真を撮らなくなって久しい。ニコンだ、コンタックスだ、ライカだと盛り上がっていた時代がやけに懐かしい。

たまにアルバムの整理をしていると、懐かしい顔ぶれに出会う。中には亡くなった人もいるし、髪形や体型が大きく変貌を遂げた御仁もいる。やっぱり写真は楽しい。