2008/07/12

禍福はあざなえる縄…今日は残りの人生の最初の日

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

出張で訪れていた鹿児島・霧島温泉(雲仙市姉妹都市)のホテルに、語呂合わせでもなかろうが、エッセイストの桐島洋子さんが色紙を残していた。

はっきり言って、字は余り上手くはなかったが、書かれている文章が気に入った。そこにはこう記されていた - 「今日は私の残りの人生の最初の日」。

宿酔の頭をポリポリ掻きながら妙に納得した。ちなみに、宿泊期日は昨年の12月20日とあったので、まだまだ最近のことだ。

ところで、若い頃から大変に可愛がっていただいた、とある恩人が、つい先日〃人生最期の日〃を迎えてしまった。

今年の3月に親しい仲間内で「古希の祝い」を挙行したばかりだったので、誰しも訃報の存在そのものを疑った。それほど急な旅立ちであった。

小生にいたっては、わずかその数日前の夜半に訪ねて色々と会話を交わした矢先のことで、いまだに信じられない。こう言うのを〃虫の知らせ〃と呼ぶのだろうか…。

故人は10年近く前に最愛の一人娘を病で亡くした。以降は雨の日も風の日も、それこそ一日も欠かすことなく〃墓参〃を続け、奇しくも今日7月11日が、その娘さんの〃命日〃であることを知った。

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一方で〃めでたい話〃もある。この春、52歳という若さで藍綬褒章に輝いた、南島原市消防団副団長の大山秀孝さん(深江町)の受章記念祝賀会だ。

元深江町消防団長の石川嘉則さんらが発起人となって10日夜に開催されたもので、300人を超える出席者で賑わった。

久間衆議院議員はじめ来賓それぞれが心のこもった祝辞を送ったが、中でも感動したのは、家屋敷は言うにおろか、それまで生活の糧としていた田畑まで焼失した状況下での、とある人物との出会い。

他でもない、宅島企業グループ総帥、宅島壽雄さんがその人だ。推薦人は当時、深江町消防団長を務めていた石川嘉則さん。

「大山君は、大変に責任感の強い男。自信をもって推薦させていただく」。そう訴える石川団長の願いを、宅島さんは二つ返事で引き受け、発足後間もない「島原開発」(生コン工場)の責任者に抜擢した。

今を遡ること15年前。まだ普賢岳の噴火災害が激しかった頃の、夏場の出来事だった。

当時の大山さんの心境を下手な文章で語ることなど土台無理な話である。ただ、誰でもが知っている。大山さんが並外れた「精神力」と「責任感」の持ち主であることだけは。

その大山さんは、たまたまこの日が53歳の誕生日。よくよく考えると、小生と〃同い年〃である。

お礼の言葉は真摯な人柄そのままに「ありがとう」の連発だったが、何より傍らの奥様に捧げた一言に〃実感〃が込められていたような気がした。

禍福はあざなえる縄の如し、か。

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