2008/07/15

紫式部も囲碁ファン!?…信長が贈った「名人」の称号

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

江戸幕府第十三代将軍・家定が13日、死んだ。NHK大河ドラマ『篤姫』でのことだ。汗まみれの体をサウナで洗い清めてから帰宅すると、母と家人が興奮して涙ぐんでいた。

「ちょっと、あん面白か将軍さんの死なしたとよ。そいも、篤姫さんには一月も教えらっさんで…。ひどかねー。衛星放送でいま再放送ばしよるけん、はよ観てみんね」。

ご指導の赴くままに夜の10時過ぎにBSチャンネルをつけると、夫婦そろって「碁石」で遊ぶ回想シーンが流れていた。なるほど、今日は「碁」に縁の深い一日だったなあ、と述懐した次第だ。

昨日における今日、すなわち日曜日の13日は、弊社と親和銀行共催の「第41回囲碁選手権大会」(島原半島囲碁まつり)が開かれた日であった。

気温33度を超えるやたらと暑いサンデーであったが、会場の同行島原支店2階ホールは、百人以上ものアマチュア棋士たちの熱気で、さらにボルテージが上がった。

優勝者の顔ぶれ等の紹介については本文にお任せするとして、今回何より驚いたのは「囲碁の歴史」そのもの。まったくもって「囲碁・将棋チャンネル」の社員の方の受け売りだが、これが頗る面白い。

まず起源については、古代「中国」。その証拠として持ち出されたのが、「琴・棋・書・画」(きんきしょが)という四文字言葉。説明を聞いて「なるほど!!」とヒザを打った。

日本に渡ってきたのは奈良時代の頃。校倉造りで有名な正倉院には、紫檀製(?)で引出し付きの碁盤が残されて、という。

時代は下って、平安時代。今年は「源氏物語」が生まれて千年のミレニアムイヤーだが、紫式部も、そして「枕草子」の清少納言も、女だてら(?)に囲碁打ちだったのだそうだ。

戦国の世に移って、織田信長。稀代の「坊主嫌い」とされる信長だが、囲碁は好きだったようで、「日海(にっかい)上人」に対しては「名人」の称号を下賜した、と。これが今日の「名人戦」の始まり。

信長にしてその調子であるから、後に続く秀吉も家康も然りである。戦国の世が一言でいえば、〃陣地合戦〃であることを考え合わせれば、至極当然の帰結、とも言える。

先般、出張で鹿児島を訪ねた時も、たまたま歴史の話になった。「大河ドラマの中で、篤姫と小松帯刀(こまつたてわき)が囲碁を打っているシーンが映されているが、あれはあり得ない話」と、地元の好事家。

言われてみれば確かにそうだが、いまだに彼の地で〃西郷ドン〃の人気が高いのには驚いた。その西郷ドンを島流しにした島津久光公は大の囲碁ファンだった、とか。ややこしい。

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近く、「囲碁の歴史」について前述の社員の方から投稿してもらう予定になっているので、どうぞお楽しみに!!

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