常用漢字で感じること…自分で「淹れる」コーヒーの味
‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐
16日付の新聞に「常用漢字」の記事が出ていた。それによると、新たに188文字を加え、5文字を外して、全部で2128文字にするそうだ(文化審議会・漢字小委員会)。
晴れて〃仲間入り〃を果たすのは「俺」「茨」「岡」「韓」「畿」など。「銑」「錘」「勺」「匁」「脹」の五文字が枠外へと去る。
個人的な思いを言えば、別段どうでもよい。漢字で書きたければ漢字を使えばいいし、嫌なら使わなければ済む話だ。
ただ、新聞紙上で時々見かける「漢字+ひらがな」の表記は、余り見栄えのするものではない。と言うより違和感すら覚える。
ところで、「俺」という字に良く似た漢字に「淹」というのがある。お茶などを「淹れる」といった場合に使うのだが、一体これはどうした文字?もちろん「常用漢字」ではないだろう。
広辞苑はじめ関係本をめくってみたが、とうとう解説欄に到達することは出来なかった。どなたかご存知の方がおられたら、教えていただきたい。
筆者がどうしてこの「淹」に拘るのかについては、大学生の頃の同人誌時代までさかのぼる。当時はすべて手書きの原稿だったのだが、物知りで聞こえた或る同人がこの文字をしきりと使っていたからだ。
どうして「入れる」としないで「淹れる」にするのだろう?正直、不思議でならなかった。でも、これが〃文人〃としての彼の誇りだろう、と納得した。
申し遅れたが、同人誌の名前は『夙』(しゅく)と言った。「夙(つと)に」という使い方からして「(朝)早く」という意味だそうだが、それとは別個に「天皇陵の番人」という記述も見つかった(広辞苑)。
確かその当時何百部か刷ったのだと思うが、転居を重ねているうちにどこに仕舞いこんだのか現在は分からないままだ。
小生の役回りは編集・発行責任者だった。今にして思うに、まとまった〃作品〃を書く技量など持ち合わせていない〃仲間〃に対しての、みんなの思いやりだったのだろう。
表紙を描いたのは東京生まれで、現在は三越日本橋店などで個展(陶芸)を開くなど活躍中の人物だ。もともと実家が華道の家元で〃天賦の才〃に恵まれた男だった。
最近はとんとご無沙汰しているが、卒業前に交わした言葉を今でもよく覚えている。「長崎に帰って教師にでもなるのか?」「いや、田舎には帰らん」 - 。
あれからもう30年近い歳月が流れた。様々な紆余曲折を経て田舎に帰った、典型的な〃中年男〃が現在の姿だ。
あいつが言ったように長崎に戻って教員採用試験を受けていれば、受かっただろうか…。まさか!!大分県教委の無様な〃醜態〃記事を読みながら、自分でコーヒーを「淹れて」いる。ああ苦い!!
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