2008/08/02

名古屋は日本の真ん中…「究極のサービス」を求めて!!

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

CATV事業における「究極のサービス」を求めて、はるばる名古屋までやって来た。長崎空港から小型飛行機で約1時間半。小牧空港は後に新設されたセントレア空港(中部国際空港)の影響を受けてか、閑散としていた。

その「印象」から一日経って新聞を広げてみると(実際にはネット検索)、大阪府の橋下知事が伊丹空港の廃止方針を示唆する発言をした、とか。「名」と「阪」(神)の違いこそあれ、似かよった「構図」である。

「尾張名古屋は城でもつ」 - 。古くからの名調子であるが、車中から眺める名古屋城は想った以上に小ぶりであった。個人的には、金の「シャチホコ」より、銅板葺きの緑の「屋根瓦」に目がいった。

さて「究極のサービス」とは一体…。そもそも「サービス」の定義づけそのものが難しい上に、「究極の」という形容詞まで冠してよいものか?講釈すればきりがないが、言い換えるなら、「何が一番お客様にとって喜ばれるか、を模索する行為と結果」に他ならないのではないか。

ただし、「無料」ではいけない。それが「タダ」で行われるとすれば、それはすでに「サービス」の枠を超えた、誤った意味合いでの「奉仕もどき」である。より端的に言うと「タダほど高いものはない」ということだ。

国にしろ、自治体にしろ、そのサービスの原資は税金(利用料)である。卑近な例で恐縮だが、当社の契約者の中でも、支払いが悪い人に限ってクレームが多い。恐らく税収納の現場でも、似かよった雰囲気ではなかろうか。

先週、テレ朝『サンデープロジェクト』の特集テーマがそれだった。番組を視て良く解かったことは、今や全国の税務担当職員は、徴収率を上げるために「アノ手」「コノ手」である、ということ。

構図的には、国からの「交付税」や「補助金」の大幅カットの反動のように捉える向きもあるが、本来「納税」は国民としての義務のはず。確か、小学校ではそう教わった。

ただし、「お上」という立場を利用した「苛斂誅求」はいけない。払えないという事情があれば、それはそれで斟酌すべきと考えるが、しかして「実態」は前述のごとしである。

一方で、給食費や授業料の滞納問題も身近で起きている、との情報。高級車を乗り回し、華美な装飾品を購入しながらも、そうした「義務的経費」はなかなか納めたがらないモンスターペアレントたち。

究極は教育の問題だが、誰もそれに対する責任を果たそうとしない。例えて言うなら、現状は「被疑者不在のまま不起訴になったようなもの」だろうか。

名古屋人は言う。「ここは日本の真ん中」。ここから「究極のサービス」が生まれるかどうかは今後の展開次第だが、中心から伝わってくる「波紋」を早目にキャッチすることも決して間違いではあるまい。中身はいずれ…。