2008/08/06

赤塚不二夫さん逝く…「昭和」がまた一つ遠のく

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

ギャグ漫画の巨匠、赤塚不二夫さんが2日、肺炎のため亡くなった。72歳。『おそ松くん』『天才バカボン』『ひみつのアッコちゃん』…。いずれ劣らぬ傑作揃い。早稲田の生協には『バカ田大学なのだ!?』という文庫本(筑摩)まで置いてあるくらいだ。

たまたまであるが、一月半ほど前に所用で訪れた東京・青梅市に「赤塚不二夫会館」があることを知った。訪問はできなかったが、駅にも、街中にも、赤塚作品と並んで、古き良き時代の「映画の看板」が随所に掲げられていた。

聞けば、同市は島原市と兄弟都市である大分・豊後高田市のように「昭和の街づくり」に勤しんでいる、という。合点がいった。バカボンのパパ風に言えば、「そうなーのだぁー」といったところか。

これまた偶然であるが、つい10日ほど前には、新聞の書評欄で見かけた、コラムニストの泉麻人氏が出した『シェーの時代』(文春)をオンライン書店で注文したばかり。何かしら因縁めいたものを感じる。

「シェー」というのは、他でもない『おそ松くん』に出てくる、何かと怪しげな「ザンス」言葉を連発する、あの「イヤミ」野郎の口癖である。

筆者は一時期、その丸っこい体型と二日酔いでむくんだような顔の造作が「赤塚不二夫にソックリ!!」と言われていたことがある。特段、嬉しくも何ともなかったが、それによって親しみが増したのは事実である。そうしたご縁で、大手出版社の編集者から、特製の「千社札」を進呈されたこともある。そうなんザンスよ!!

旧満州から引き揚げてきた赤塚少年は、父親の故郷、新潟で看板修業。18歳の時に上京して、後に多くの有名漫画家を輩出したことで知られる「トキハ荘」(豊島区)で腕を磨く。その後、小学館発行の「少年サンデー」に『おそ松くん』が連載されたことを機に、一気に名前が売れ、〃大御所的存在〃となる。

ところが、そうした〃枠〃に収まりきれないところが、いかにもこの人らしい。片時もウイスキーのグラスを放さず、挙句の果ての奇行、蛮行…。タモリの才能にいち早く目をつけたことでも知られる。

素顔の赤塚さんは、とても恥ずかしがり屋さんだった、という。であるがゆえの「酒びたり人生」だったのだろう。

2002年に脳内出血で倒れ、以降はほぼ〃植物人間〃状態だった、という。再婚した妻は2年前の7月にクモ膜下出血で死去。元の奥様は奇しくも、赤塚さんが亡くなる3日前に鬼籍に入った、と。

赤塚作品で育った筆者世代にとっては、また一つ「昭和」が遠のいてしまった。が、これもまた人生。ご本人はきっとあの世で「これでいいのだぁー!!」とグラスを傾けているに違いない。合掌。

[追伸]本来は昨報のつもりでいましたが、暑さで頭がボーっとして送信するのを忘れていました。