2008/09/03

夢は特攻隊員だった…原爆がその後の人生を変える

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

まさに〃快男児〃である。昨夜、弊社の生放送番組のゲストにお迎えして、改めてその思いを強めた。

前国見町長、渡辺秀孝さん。昭和5年7月9日生まれ。「全部〃奇数〃でしょうが。私しゃ〃偶数〃は好かんと」と言いながらも、その生き様は生半可な〃割り切り方〃ではない。

取材を通じて、「長崎原爆」に遭遇されたことを初めて知った。「ピカッ、ドン」。一瞬の閃光と爆音への咄嗟の反応が命を救った。

悪ガキだった幼年期~少年時代。両親をはじめ家族の愛情に育まれて、スクスクと成長。将来の夢は〃軍人〃。予科練を経て、〃特攻隊員〃になるつもりだった。

父の勧めで長崎師範に進学。この時点でまだ教師になる気持ちは薄く、「いずれは予科練へ」という夢を描き続けていた。

生来の運動神経と磊落な性格そのままに、師範進学後も「体練」「教練」等で一目置かれる存在に。しかし、「原爆」がその後の人生を一変した。

被爆直後の3日間、負傷した学友を戸板に乗せて長与まで運んだ。この時、人間の頭部がやたらと重たいことを実感する。帰郷後、吐き気や脱毛等の原爆症特有の〃症状〃が出始めたが、母の懸命な看病で奇跡的に持ち直す。

約2カ月後に復学。とは言っても母校の校舎(長崎)ではなく、大村工廠跡での仮住まい授業。そこで体躯の良さを見込まれ相撲部入り。

当時15歳(今の中学3年生)。5歳も年上の本科生がとてつもない〃大人〃に見えたが、稽古を積んで対等に渡り合う。

顔見知りの島中出身者の誘いでラグビーの試合に飛び入り参加。詳しいルールは知らなかったが、「ボールを持ったら、とにかく真っ直ぐ走れ」の指示通り、ゴールへ向けて突進!!

持ち前の脚力と、相撲で鍛えた腕(かいな)力で向かうところ敵なし。「ぶちかまし一発で相手は軽く吹っ飛んだ。タックルのされようもなかった」と。

ただ、憧れの〃特攻隊員〃になれなかった心の空洞は、スポーツだけでは埋めようがなかった。焦土から響いてくるブルドーザー(別名・土手こすり)の槌音を聞きながら、いつしか〃土建業〃への夢も芽生え始めていた。

つい、そんな思いを口にした途端に、一族を挙げての猛反対。おとなしく奉職した先が、当時の山田村立第一小学校(現在の吾妻・大塚小学校)。

クラスに二名の知能障害児がいた。教壇のまん前に座らせて一桁の足し算を根気良く教えた。

最初は自分の指に頼るしかなかった二人が、椅子→机上の年輪などと、次々と活用していく様子を見て「考える力」の尊さを学ぶ。教師になって良かった、と思った瞬間だった。

《追伸》渡辺さんには次週(9月8日)も番組に登場していただきます。