2008/09/04

「リトル長崎」はいかが?…諫早・江山楼が先月末で閉店

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

五月雨式に帰郷していた我が家の〃お客様〃連中も、1日の長男を最後にそれぞれの生活へと旅立って行った。月末の日曜日に出発したのは、次男坊。諫早駅まで送って行ったのだが、ちょうど昼時だったので本明川沿いの「江山楼」に立ち寄ることにした。

定番のチャンポンを食した後、待合室でタバコをふかしていたら、「これから京都へ向かう」という安養寺住職の菊地文喬さんとバッタリ。「おやおや、清水君も〃最後のチャンポン〃狙いかい?」と笑いながら近づいて来られたのだが、最初のうちは〃事情〃が呑み込めなかった。

しばらく会話を交わしているうちに解かったことは、同店が8月いっぱいで閉店し、この秋に新装オープンする長崎市茂里町の「ココウォーク」内に移転する、という計画だった。

エッ、だったら、本日は「ラストエンペラー」ならぬ「ラストチャンポン」の日ではないか、と妙な感慨に耽ってしまった。こういうのを「シンクロニシティ」と言うのだろうか、その晩に「ヒストリーチャンネル」を観ていたら、「東京裁判」の記録映画のようなものを放映していた。

そこに東条英機らとともにソ連側の証人として登場していたのが、満州国最後の皇帝、ラストエンペラーこと「愛新覚羅溥儀」。戦前の昭和史の中で特異な地位を占める「満州国」だが、その存立期間は僅かに13年間。「五族共和」の名のもとに放った光芒の影は余りにも鮮烈だ。

まだ読みかけの『甘粕正彦 乱心の曠野』の書き出しの中で、作者の佐野眞一さんは「戦後の高度経済成長とは、失われた満州を官民一体となって国内に取り戻す壮大なゲームだった」と断じている。

柄でもないので、そのような小難しい話はさて置くとして、諫早「江山楼」の歴史は「満州国」の2倍強に相当する28年間だった、という。

まだ他県に居た当時、故郷に舞い戻って食べた「江山楼チャンポン」の味は格別だった。それが長崎だったか、諫早だったかはすっかり忘れてしまったが、「感謝デー」とやらで一杯・百円だったことを今でも良く覚えている。

今でこそ「リンガーハット」の普及で〃落差〃は少なくなってきたが、以前は九州以外で出される「チャンポン」の味は本当にひどかった。場所によっては、五目麺に片栗粉をかけたものが堂々と出されていたくらいだ。

しばらくして島原に住むようになり「島原チャンポン」の美味しさにも出合えた。幸せである。ただ、最近は「小浜チャンポン」の勢いに押され気味である点が些か気がかりだ。

きょう4日から定例9月市議会が始まる。現職の吉岡市長の動向に注目が集まるが、次の市長さんには外港地区への「リトル長崎」の誘致を是非提案したいものだ。