吉岡市長が不出馬宣言…ジオパーク認定に道筋を!!
‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐
4日、島原市の吉岡庭二郎市長が「5選不出馬」を正式に表明した。まだ12月中旬までの任期は残っているものの、何はさて置いても「お疲れ様でした!!」である。
噴火災害の最中で行われた平成4年の市長選は、史上稀に見る「大激戦」だった。今こうして、ある意味サバサバした表情で「退任の弁」を述べる姿を目の当たりにして、改めて「今昔の感」を禁じ得ない。
「吉岡助役出馬へ!!」をスクープしたのは、この小生だった。現職の「退陣表明」後の動きを追う中で、「知っていたのに記事にしなかった判断」の甘さを、某全国紙の支局長に揶揄(やゆ)されたことへの「意趣返し」でもあった。
あれからもう16年の歳月が流れたのか…。事実上の「一騎打ち」だった相手候補は昨年、志半ばで鬼籍に入られた。様々な思いが交錯する中で、やはり印象深いのは、選挙戦終盤時点での両陣営のフィーバーぶりだ。
相手候補には、後に総理(79代)となる肥後の殿様、細川護熙・日本新党々主(元熊本県知事)が応援に駆け付け、テレビキャスターから政治家に転身した小池百合子参院議員(後に衆院議員)が花を添えた。
一方の吉岡陣営には、自民党のお歴々に加えて、スポーツ平和党の参議院議員でもあったアントニオ猪木氏が登場。大手広場から広馬場交差点まで賑やかに「街宣パレード」を繰り広げ、支持を訴えた。
結果は、接戦の末の吉岡氏の勝利。後に二人は平成16年の選挙戦でも相まみえることになるのだが、軍配は再び吉岡候補に。
吉岡市政16年間の功罪を問うには、まだ些かの時間を要するだろうが、未曾有の噴火災害から本格復興への道筋を付けたという意味では、その手堅い行政手腕は存分に評価されてしかるべきだ、と思う。
まだ、長崎県農林部の職員だった頃の吉岡さんの酒席での「十八番」(おはこ)は、刺身のつまの海草を額に垂らしての「ゴルバチョフ」(ソ連邦最初で最後の大統領)だった。
吉岡市政の手法が、ゴルバチョフばりの「改革路線」だったかどうかは後の検証を待つとして、市民誰からも「市長さーん」と声が掛かる「飾らない人柄」は、人々の間でも末永く語り継がれることだろう。
だが、ご本人もおっしゃっているように、まだまだ「12月までの任期」が残っている。この間の最大の政治テーマは「ジオパーク認定」だという。
「正式表明」こそまだ行われていないが、すでに11月末の次期市長選に向けて、「新人同士」の事実上の選挙戦も始まっているようだ。
果たして、誰が次の市政の舵取り役となるのか?まったくもって予断を許さない情勢だが、歴史の名に恥じない、活気に満ちた「古里づくり」を、着実&果敢に実践できる人物であってほしい。
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