暑さ寒さも彼岸まで…みんな「楽観脳」で行こう
‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐
〈律儀なり 今年も咲いた 曼珠沙華〉。のっけから下手糞な俳句もどきで恐縮だが、彼岸前にその姿が確認できてホッとしている。
実を言うと、本当に咲くのかどうか心配していた。我が家の庭では毎年、ツツジの植栽の隙間からニョキといった感じで数本が顔をのぞかせるのだが、今年は何とも遅いお出ましだったような気がする。
「暑さ寒さも彼岸まで」とは、よく言ったものだ。今日なんかは「台風一過」のせいもあろうが、実に秋の風情である。これからは陽が落ちるのが早くなり、朝晩の冷え込みも増してくることだろう。
秋は何をするにも適した季節である。飯は美味いし、少々動いても汗だくになるようなことはない。夜になって耳を澄ませれば、虫の音も涼やかだ。
問題があるとすれば、余りに過ごしやすい気候なだけに、ついつい自分を甘やかせてしまいがちだ。こいう時こそ自らを高めるよう仕向けるべきなのに…。
新聞の仕事に就いて最初に取材したのは、雲仙・仁田峠のススキだった。もう20年以上も昔のことですっかり記憶も薄れてしまったが、今以上にお粗末な写真と文章だったことだけは確かだ。
人生を四季で表せば、筆者のようなオジサンの類いは間違いなく「晩秋」の候だろう。いかに平均余命が長くなったとはいえ、50歳を幾つも過ぎれば、もはや立派な後半戦だ。
野球や相撲などのプロスポーツに限らず、オリンピック等の選手を見てみても「ベテラン」と呼ばれる連中の何と若いことか。ただ、もう時計の針を巻き戻すことはできない。
せめては、健康でゆとりある老後を迎えようと心では願っているが、生来の怠け癖がそれとは逆のベクトル方向へと引っ張って行ってしまう。
この前の検診でも、血圧、中性脂肪、尿酸値等のデータは明らかにその兆候を示していた。誰の責任でもない。全ては自らが招いた「現実」である。
もっとスポーツを!!もっと節制を!!もっと教養を…健全な心の雄叫びは響いてはくるものの、いざ行動となると億劫(おっくう)がってしまうのだ。
前世紀の文豪・夏目漱石の作品の多くは、「鬱」心境下で描かれたものだった、という。それは何も持病の「偏頭痛」のみがもたらしたものではないそうだ。
いかん、いかん。大して物事を深く考える性質でもないのに、こんな事を書いていると、たちまち「迷路」に入ってしまう。
そう言えば、誰かが言っていた。「人間は思い通りの人生しか歩めない」と。なるほど、この時代、大切なのは「楽観脳」だ。
こうありたいと願っていれば必ずそうなれる。この程度でよいと思えば、それまでだ。心を入れ直して、さあ今宵も夜の街へ。今年の秋刀魚は格段に美味い!!
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