途中でギブアップ宣言…蝮が出てきてコンバンハ
‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐
〃約束〃のその日は53歳と1日目にやってきた。そして小生は〃完敗〃した。実は今年の春先、自転車で島原半島を一周した記事を掲載したらほどなく、同じような〃体型〃をした先輩お二方から「次は歩いて回ろうではないか」との〃果たし状〃を受け取っていたのだ。
勿論〃二つ返事〃でお受けしたが、今考えると「随分と浅はかだった」と猛省している。実際にチャレンジしてみて、自転車での走行と、我が身を酷使しての徒歩とでは、全くの似て非なるもの、であることを知らしめられた格好だ。
小浜名物の〃夕日〃がその赤い色合いを強め出す頃、正確に言うと午後5時40分にマリーン広場を出発。かって知ったる〃ふるさとロード〃の滑り出しはいたって順調だった。
約1時間後には飛子の浜を通過。白頭、板引、椎ノ木川を経て、南串山の旧道街を順調に飛ばした。赤間~権田間のロック・シェッドも何のその。対岸の天草の夜景を眺める余裕もまだあった。
〃異変〃は加津佐の街中に入った辺りから徐々に起き始めた。先頭集団から少しずつ、少しずつ遅れ始め、駅前のコンビニに辿り着いた頃には、もう殆どグロッキー状態だった。
けれども、ここで音をあげるにはまだ早すぎる。両脚の痛みを庇(かば)いつつ、泣きの涙で高校駅伝の折り返し点となっている下馬松(げばまつ)の坂を登りきった。野間水を過ぎると、母校・口加の校舎が視界に入ってきた。感傷に浸る間もなく歩を進めていたら、何やら先の方で騒ぎ声が聞こえる。
犯人は、大の苦手のマムシの大将だった。道の真ん中でトグロを巻いていたが、懐中電灯で照らされると、道脇の溝の中にスゴスゴと退散して行った。その一部始終を見ていて、死んだ爺ちゃんが「秋口のヒラクチは毒素ん強かけん、噛まれんごてせーにゃ」と言っていたことを憶い出していた。
真米の坂を下って、いよいよ口之津港。国道沿い島鉄のレールはすでに撤去されていた。分かってはいた事態だが、寂しさは否めない。近くのコンビ二で氷塊を購入。断片を口に放り込んだり、タオルに巻いたりと色々と〃処置〃を試みてみるが、刻々と〃終焉の事態〃が迫っていることを予感していた。
大屋、菖無田を過ぎて次の休憩地、浦田のコンビニを目指す。途中、大江の路上で再びマムシと出会う。北有馬の短い海岸線を抜けて龍石に入った所で足がピタッと止まった。連日の不節制のツケが来た感じで、急速に眠たくなってきたのだ。
無理をすれば、まだ歩けないことはなかったが、みんなにこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。これも大人の判断だ。断腸の思いで〃ギブアップ宣言〃をしたら、2人の同調者が現れた。時計の針は午前3時を回っていた。
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